牛の涎


20181122牛の涎ことはじめ

「牛の涎:うしのよだれ」とは、かつて、妹がわたしの文章を眺めて言った言葉。あんたの文章はメリハリがなくてだらだらいつまでも続くってね。


20181123訂正方針について

一回書いたものは訂正しない方針で行こうかと思っていたが、いきなり「牛の涎ことはじめ」を訂正してしまった。だって、「20191122」って書いてしまっていたんだもの。

ま、誤字脱字とか、年月日の明らかな間違いとか、そういうのは許してもらおう。公文書ってわけではないからね。

2018112424ブログが好きでない


いやね、書かれたものではなくブログの形式が好きでないという意味。

理由は、

1 書いた順に読みにくい。一番上に最新のがあるのを良しとしたとして、昔のから順に読むことが難しい形式だ。

2 書いた順にただただ並んでいるので、テーマ別の見通しが悪い。

3 文章を構造的に表すことが非常に難しい、ただただ書き連ねていくと言う、牛の涎のような文章を書かせる形式だ。

など。


2018112524データベースは規模で考える


このコラムで四つ目。ブログが嫌だとか言って、ここまで順に並べただけじゃんって、そうなんだ。

たとえば、名刺データ。

10枚:順番関係なく並べておく。

100枚:あ行、か行、さ行、た行、、、、の区分けをしておく。区分けの中での順番はどうでも良い。

1000枚:氏名を仮名登録して五十音順に全部を並べ、あいうえおかきくけこさしすせそ・・・の旗を出しておく。

10000枚:すべての名刺にid番号を付与し、id番号順に並べ、氏名の仮名で検索できるようにデータベースソフト(簡易なやつ)で管理する。氏名だけでなく、会社名とか業種など、自分にとって適当と思う区分けでも検索できるように登録しておく。

100000枚:登録は上記で良いが、名刺自体の収納を工夫しなければならない。。。かなあ。10万のデータを扱ったことがない。

1000000枚:現物の管理は放棄したいなあ。そもそも、こんな数を誰がどうやってデータベースソフトに入力するのだ。人の手を煩わせない自動装置でなくちゃ現実的でないな。まあ、名刺を100万枚も管理しなくちゃならない羽目に陥る人はいないと思うけど。

2018112624「チャット」は禁止


我が家の「家訓」に、チャットは禁止と言うのがあるはずであった。かつてのパソコン通信時代にニフティ―サーブでは会議室において「チャット」というのがあり、その時間に仲間が集って文字列をやりとりする。時間を拘束するので、碌なものではない。

で、今、ラインをはじめ、SNSと呼ばれるそれらは、一応、形の上では時間を拘束するものではないが、実質上、四六時中やり取りしていて、かつ、即時の応答が求められる。強く求められる。

最低の世の中になってしまった。家訓も何もあったものではない。

20181127「万kw」という単位


家庭用電力を表すとき、電力会社は単位にkWを使う。比べるとき、単位は揃えなければならないからか、電力会社は発電所の能力を表すときもkWを使う。大きな発電設備は、1機がだいたい1000000kW前後である。読みにくいから、100万kWと電力会社や新聞社は書いてくれる。よって、実質的に「万kW」という単位がある。

一方、太陽光発電方面では「メガソーラー」という言葉が躍る。ここでの「メガ」は単位の接頭辞が「M(メガ)」であるということだ。「k(キロ)」をやめちゃったのは、邪推すると「でっかい太陽光発電だぞう」っていう気分を出すために、大きな接頭辞を使ったんじゃあないかと思う。Mはkの千倍だからね。

ということで、1MW=1000kW=0.1万kWということ。「M(メガ)」は「万kW」の10分の1でしかないってこと。見かけ倒しな「メガ」なのでした。

太陽光発電推進派の詐欺的な「メガ」発言かと思う。単位は揃えて比べなければならない。業界で習慣的に使われている単位をあえて外すのは、素人を騙そうという意図を感じる。

ちなみに、日本で一番大きな太陽光発電所は瀬戸内Kirei太陽光発電所で、235.4461MW=約24万kWだ。瀬戸内海に面して東西約2.8km、南北約1.8kmにわたって広がる総面積約500ヘクタール(=約5km^2(平方キロメートル))の錦海塩田跡地に立地しているそうだ。江別市大麻団地の面積より倍くらい広いような気がする。


20181128 MTSH・・・次の元号のローマ字予想

ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZ
M明治 T大正 S昭和 H平成は当然忌避するでしょう(と思いたい。避けなきゃ大混乱だ)。
日本語ローマ字にあるもの以外は使わない(だろうと思う)。ヘボン式とかでのみ使うCとかJとかは使わないと思う。
Iは数字の1に見間違いやすいので避ける(べきだ)。
Oは数字の0に見間違いやすいので避ける(べきだ)。
ということで、候補は、アルファベット26文字から半減して13文字。
ABDEGKNPRUWYZ
こういうことは考慮して決めてるかなあ。明治以前の元号に関しては無視してよいと思うけど、大文字のローマ字一字を元号の略称表記に使う上で、上記のことは考慮すべきだと思う。
もし、考慮して今後の元号を決めるとしたら、残っているのは13文字で、B, Pあたりは使いずらそうだし、どうするんかなあと気になったりする。

20181129 バターはかつて225gだった

少なくとも、わたしがガキだった時分はそうだった。
なんでこの数字かというと、半ポンドだから。二分の一だから切り良い数字でしょ。1ポンドは約450g。日本人はバターの作り方をアメリカ人に教わったのかなあ。アメリカではポンド単位だからね。
それが、知らない間に200gになった。こちらは1kgの五分の一だから、これはこれで切りは良いが、しかし、25g減である。なんか、バターの値段が上がった時に、見た目の値ごろ感を出そうとしたのかな。それとも、「切りの良い200gにせよ」と行政指導があったんだろうか。
で、ここ二、三年は150g梱包のバターが増えた。こちらはバターの値段が上がったのに連動している。150g化は明らかに値ごろ感を狙っている。セコイ。

2018113026ブルートゥースのステレオイヤフォン


左右も完全に離れている無線のイヤフォンのことね。あれは、耳の穴からキノコがはえているようにしか見えない。

20181201鋼の包丁の錆

鋼の包丁でも、菜切り包丁と三徳包丁では、菜切り包丁の方がさびやすい。同じ鋼なのに。
・・・あるとき気が付いた。菜切り包丁は野菜しか切らないが、三徳包丁では肉を主に切る。よって、菜切り包丁に油っけはないが、三徳包丁には脂の薄い膜が付いている。だから錆びにくい。

2018120225私の死体

死んだら自分の体くらい好きにさせてほしいと思うものだが、死んでからのことほど自由にすることはできない(死んでいるのであれこれ働きかけることはできない)。わたしは生まれてここまで碌なことはしていないので、せめて、死体となった自分の体を少しでも役に立つことに使ってほしいと思うが、可能かなあ。
ミンチにして、大きめのコンポストに入れて、生ごみと一緒に少々の土と混ぜて二年くらいほっておいたら、まあまあの肥料くらいにはなってお役にたてるかなと言う気がするが、どんなもんでしょ。昔風に土葬にするのとあまり変わらないよなあ。少なくとも、大量の燃料を使って骨以外のものを焼切るなんて無駄はしなくて済む。

2018120324ボトルの「皮」

醤油のペットボトルとか、オリーブオイルの瓶ボトルとか、お茶のペットボトルとか、「表皮」が施されている。そこには、何が入っているかとか、あれこれの決まりを満たす表示があったりする。そして、多くは、ボトルのほぼ全域を隠している。中には1cmほどの透明部分を残しているのもあるが、全部隠しているのも多い。よって、中身がどれだけ残っているかはちょっと見にはわからない。1cm隙間を開けている奴も、ほとんど同じようにわかりずらい。ちょっと持っても、わかりずらい。一升瓶とか、たいていの四合瓶なんかは、ラベルは貼ってあっても、中身の量は一目瞭然ってのがほとんどだ。残りを気にしたとき、一目でわかって気持ちが良い。一方、ぐるっと不透明の表皮で覆って見えなくしている奴らは、喧嘩を売っているのかと思う。それの製造業者名は、いつも目にして心にとめているってこと。

20181204馬鹿か、サマータイム

高緯度地域において、夏の季節は日が長い。よって、一時間とか時計を前に動かして、その上でそれまで通りの活動をしようっていう「夏時間」だ。明るい朝の早い時刻から活動を始めて、一日の「所定」の仕事時間をすます。しかし、日が長いから、仕事を終えてからも、明るい時間がたくさんあって、楽しく外で遊べるでしょって話だ。
ま、ここであらためてあげつらうのもはばかられるほど当たり前のことだが、二、三あげてみる。
所定の仕事時間が終わったのちの明るい時間は長いが、そこで活動するとすごく疲れる。また、一日の長さは変わらないので、自動的に睡眠時間は短くなる。
いきなり活動時間帯をずらすので、体内時計が狂って心身がおかしくなる。
・・・などなどが言われているが、たいてい言及されないが、根本的な問題がある。
時刻と言うものは、お日様の南中から次の南中を一日とし、それを分割してその頭に番号を付けて表示している。基準はイギリスはグリニッジで、そこから赤道に沿って15°につき一時間ずつずらしていくっていうのは、そういう決まりにしているからである。
その決まりを、ある日をもって15°ずらすとか、そういう蛮行をするのが夏時間と言うものだ。冬が近づくとまた15°反対にずらして元に戻す。せっかくわかりやすい時刻の表し方を作ったのに、それを破壊する。
何時から働き始めることにするかとか、そういうことは、好きにすればよい。九時から働き始めることにしていたのを、夏の期間は八時から、いや七時からにするとか、そういうことにするのはその職場とか企業とかの都合で決めればよい。全職種・全ての活動についてそのようにすべきと言うことを強制したければ、「何月何日から一時間早く始業すること」と命令すればよい。地球のまわり方の表記の仕方を変える必要はない。それをあえて変えるというのは、人を頭っから馬鹿にした行為と言うことでしょう。あるいは、やらせる奴らは「単なる馬鹿」ということ。

2018120524動くな!止まれ!

Pillar Visionだってさ。ちょろちょろちょろちょろ画像が動いてうるさい。誰の許しを受けてやっているんだ。金を出したら何をやっても良いというものではない。落ち着いた景観の中を歩きたいというのは、自然なことだと思う。
むかし、SFで「レンズマンシリーズ」を読んだ。普通の文庫の厚さの二三倍あるのが一冊で、十巻以上あったような気がする。その中で、ある宇宙人に招待され、彼の星の空港から彼の家に車のようなもので向かっていたときのこと。ダーッと太い道を走っているのは良いが、道の両側は灰色の壁が続く。景色は招待した宇宙人の目を通してテレパシーで見ているわけだが、不自然なような感じがしてちょっと聞いてみました。
「道の両側には何にもないの?」
彼は答えました。
「いや、そういうわけでもないけど、ちょっと・・・。じゃあ、見てみるかい?」って見せてもらったものは、派手な電飾がせわしなく動くありとあらゆる広告の看板の列であったというもの。宇宙人の彼が、客人に気を利かせてくれていたってこと。ま、そういう状況は恥でもあったわけだが。
胆振の地震後の、節電が要求されていた期間中は電飾柱は点灯されていなかった。天井照明もまばらで、ちょうど良い明るさの落ち着いた地下通路であったことよ。(JR札幌駅から地下鉄札幌駅方面への地下)

20181206こんなもんで牛の涎か


あしびきの山鳥の尾のしだり尾のだらだらし涎・・・のはずなのに、千字もいかないって?
いや、そういうわけでもなく涎なんだ。じつは、いままでは、一行でやろうって思って書き始めてこれなんだから、一行に比べると著しく長いのはその通りなのでした。そのうち、五、六行は書きたいなと思って書き始めることでしょう。


20181207北海道の交通事故死者数のこと

\月別            1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月        計
死者数2017      6     4    13     7   11   17   17   14   17    16       15    11        148
死者数2018    17   10     6      3   20     6   13   17   12     10      15     3+?     132+?
2018年12月6日までの道警の集計より編集

北海道新聞の朝刊の後ろから3ページ目に、交通死の今年の集計が毎日載っている。そこには昨年同期の集計人数も併記され、今年の状況がわかる。昨日までで132人は去年と比べて6人少ないようです。
それで、何を言いたいかというと、「北海道新聞の交通事故に対する論調」に対してです。今年は1月2月とずいぶん多く、2月末には27人と、去年の10人に比べると3倍近くにもなり、「交通事故多発だ! 大変だ! 死者数を減らすために何かを変えなければならない!!!」と何度もヒステリックな記事を出した。確かに数は多いが、まだ1、2月だけです。また、交通事故が著しく増える状況の変化が北海道にあったようには私には思えませんでした。このように件数の少ない事象は、集計を取るとばらつきが出ます。件数が少ない事象ほどばらつきが目立ちます。統計的に「傾向」を論じるためには、ある程度以上の数の多い事象でなければなりません。
そろそろ1年が終わろうとしていますが、1年間の死者数という観点から見ると、まあ、現状維持ってことでしょう。幸いなことに、道警の10年間の集計を見ると、漸減傾向にあるようです。このまま推移すれば、今年もその傾向を維持することが出来そうです。
そして、心に留めなければならないことは、「数」という無機質なもので表現されている一人ひとりの死者についてです。ご本人にとっては「漸減傾向」も何もあったものではない。100%死んでしまいました。まわりの方々にとっても100%の喪失であることに変わりありません。ついでに、交通事故の死者数は事故発生から24時間以内のものだけの集計です。1か月以内で集計すると、2割程度増えるそうです(注1)。

注1
https://www.insweb.co.jp/car/kisochishiki/jidosha-jiko/30days-shisha.html
保険の窓口インズウェブ より
「事故発生から24時間以内に死亡した人のみを「交通事故死者数」として統計をとっている」
「事故発生から30日まで枠を広げると、死者数は約2割押し上げられる」
「国際比較のために必要ということもあり、平成5年から「30日以内死者」の集計も行っています」←結局、外圧かあ。実質的な死者数を集計しようという内的な欲求によるものではなかったんですね。

2018120824二度読まない

本は基本的に二度読まない。知っているものをなぞってもつまらないから。しかし、読んだことを忘れて読んで、五分の四を読んで二度目だと知ったアガサクリスティーは二度楽しめたのかもしれない。今日、項目を確かめるために二度目と知って読み始めた甲野さんの本は、結局全部読み返して、項目のほぼ全部を忘れていたことを知った。途中で読むのをやめちゃった本かと疑いながら読んだが、まばらに覚えているところもあったので、全部読んだのは状況的には間違いない。

20181209納豆にたれ・からしはいらない

ぐちゃぐちゃいろんなものがたれに入っていて、まずい。普通の醤油を使うからいらない。からしも味がからしに奪われるから基本的に使わない。しかし、たれ(からし)付でない納豆がほとんどない。ついでに、納豆パックの原価で一番高い項目がたれだってのを見たことがあるが、ほんとかなあ。ほんとだったら、最低。

20181210音のしない送風機

もし、音なしで空気を動かす装置を開発したら、わたしはあなたを抱きしめたい。
たとえば、キタラなどの音楽堂では、空調で風を動かさねばならないが、音を消すために巨大な装置を作って対応している(注1)。これは、一般家庭向きでないので却下。つまり、今ある扇風機や送風機の大きさ程度で空気を動かす。なおかつ、音が出ない。そういうものが欲しい。
というのは、冬場は部屋の空気をある程度以上に強く回さねば上下の室温は均一にならない。回すとうるさくて落ち着かないし、音楽もなかなか楽しめない。窓を全部開放するだけでそよ風が入ってきて、静寂と空調が両立するなんてのは理想だが、そういう時期には上下をかき回す必然もないし、そもそもそんな時期、時間帯は非常に限られている。

注1
https://www.be-going.co.jp/column_02.htm
「ダクトサイズは一般的な建物のダクトサイズの5~8割増しのサイズ」
「セル形消音器」←どんだけ大きなものかは写真からわからない。

20181211雪道の運転

1. 急制動(緊急最大ブレーキ)をためらわない。
2. コーナーでは必ずアクセルを踏む。
以上。

[解説(牛の涎本編)]
上記のことは、雪道に限らず、滑る路面の時は当然、乾いたアスアファルト路面(普通の道路でグリップのとても良い路面)でも心がけるべきだと思う。グリップの良い路面だと、かなりのスピードでいきなりステアリングを切っても問題が起こることは、「よっぽど(注1)」でないとない。ブレーキを踏みながらステアリングでこじっても、整備された路面で最新のタイヤで性能の良い車だと、まあ、何も起こらない。しかし、いつもそういう運転をしていると、事が起きそうな条件では対処できない。だから、滑らない時も滑るときと同じように運転すべきだと思う。運転は「習慣」だ。体が覚えていることしか緊急時には出来ないから。

1.
急制動というかパニックブレーキをきっちり踏める奴は、結構少ない。ちょっと運転に自信のある風情の奴でも踏めなかったりする。うだうだブレーキングしていたら、想定外の事態(たとえば、並走していた自転車が急にふらついてこっちに来る時)に、ぶつかる。バシッとブレーキをかけたら大丈夫でもさ。
練習するべきである。速度は30km/h程度から。前後左右に何もない状況を見計らって、停止線などのとまるべきところの30mくらい手前をめがけてガツンと止まる。タイヤがロックするまで強く踏む。ロックしたらじわっと戻す。ステアリングは絶対にまっすぐ。ABS(アンチロックブレーキシステム)が付いていると、究極のブレーキングは練習できないけど、ABSの仕様が体得できる(ABSの方が制動距離は伸びる)。こういう急制動の未経験者は、絶対に高速(50km/h程度以上)では練習しないこと。危ないから。でも、普段、走っている速度からでも急制動が出来なければならないから、低い速度で自信を得たら、練習の速度を徐々に上げていかねばならない。でも、練習できる状況を整えるのはだんだん難しくなってくる。本来は、教習所などで、100km/hまでの練習はすべきかと思う。だって、高速道路ではその速度で巡航しているでしょ。(いや、もう少し速い速度で巡航しているのが普通なので、その速度からの急制動もね)
どのような路面でも、自分が走っている速度からの急制動は自信を持ってこなせなければならない。だって、その路面でその速度で走っているのだから。出来ないなら、出来るところまで速度を落とすべきである。
急制動をやったことのない人は、漫然と流れに乗ってかなりの速度で走っているけど、あんた大丈夫?

【まとめ】急制動はステアリングをまっすぐに保ち、ブレーキを床まで一気に踏み抜く。タイヤがロックしたらじわっと戻し、グリップを回復させるが、ロックする寸前を維持する。ABSの場合は、ブレーキを踏み抜き続ける(これさえできないのが多い)。

2.
コーナーでアクセルを踏まないと、後ろが浮き気味になってスピンしやすくなる。だから、コーナリング中はアクセルが必須である。アクセルから足を離しているだけで不安定だ。ブレーキングなんてもってのほかだ。
「コーナーでは速度は控えめにって言われているからアクセルを踏まずに速くならないようにしているんだけど、どうせって言うのさ」って声が聞こえてきそうだが、アクセルは必須なのだ。じゃ、どうすればよいかと言えば、コーナーの入り口でアクセルを踏めるまでに速度を落としておくのだ。それに尽きる。乾いたアスファルト路面のグリップ力だと、制限速度程度の速度ならコーナーでブレーキを踏みながらの速度調整も全然余裕でしょう。しかし、そういう運転を普段していると、雪道などでは全く対処できない。じゃあ、どれくらいまで速度を落としておけば良いかと言うと、雪道で普段大丈夫だと思っている速度の体感半分まで落とす。これって、ほとんど止まってしまったという感覚の速度だよ。あとは、コーナーに入ってから、お好みのところ(もちろん、交通状況や法令に即した範囲)までアクセルで速度を上げる。外から見ていたら、そういう運転はとてもスマートに見えるものだ。そういえば、F1の中島さんが、モナコ(小さいコーナーがたくさんある)を初めて走った時、ピケとかのうしろを走っていて、コーナーの手前で「え、えーっ」と言う感じで速度を落としたと思ったら、コーナーに入ったらひゅるひゅるって先に行ってしまったってな感じのことを言っていた。中島さんは、コーナーの手前までガーッと行ってガツンとブレーキングしてそれからって感じでコーナーに入っていくしかなかったんだけど、ピケの方が全然速いってさ。

【まとめ】コーナリングは、大丈夫だと思う速度の半分まで速度を落としておき、コーナリング中はアクセルを踏んで速度を上げてゆく(あるいは、現状を維持する)。

注1
制限速度なんてものを無視してすっとんでいくってレベルのこと。流れに乗って、紳士(淑女も)な態度での運転中の速度とは言い難い速さのこと。

注2
この項は、一般車が他者の交通を尊重しつつ運転している状況を前提にしている。レースなどでは、こんな安全で悠長な運転をしていたら、ダントツのビリかもね。

注3
「冬道の運転では、急ブレーキ急ハンドルなど、急の付く動作はやめて、スピードを控えめに運転しましょう」って言うけど、でも、車は速く走ってナンボのものである。ひとり20km/hで安全運転ってのは現実的ではない。じゃあ、どうすれば良いかってことは「急の付く動作は云々」なんて言うことからは導けない。ほんとに、安全運転屋さんは、実質的なことをめったに言わない。

20181212座席の向き

JRの電車の座席に、背板が両面から使えるように作ってあって、前後好きなように向きを変えられるのがある。仲間が四人いれば、昔の客車のように向き合った四人掛けにすることもできる。普通列車の場合、進行方向を変えるたびに座席の向きを職員が変えるなんてことはしないので、乗ってきた客は自分で変える。

バタァーン。

別に、変える必要もないのに、変えないやつはいない。どうしても進行方向を向きたいらしい。わたしは後ろ向きに遠ざかっていく風景を見る方が落ち着くのだけども。

20181213牛蒡(ごぼう)は炒める

ゴボウは、一般的に、切って水にさらしてえぐみを取る。しかし、生食屋さんは、さらさず炒めよと言う。えぐみの成分がうまみになる。料理時間はかかるが、圧倒的にうまい。水にさらしたゴボウは、「滓(かす)」である。

20181214JRの駅での遅延案内-大麻駅だけ?

5分10分遅れた時は、1分おきじゃあないかってくらい遅延案内と遅延の謝罪を繰り返す。その列車を待ってすでにホームで待機している私の耳が痛い。同じ情報を繰り返す。ほんとに、うるさい。もう少し節度を持って案内して欲しい。
で、何かの都合で全然動いていないとか、数時間遅れの列車が一時間に1、2本走っている状況では、黙る。
何時にどの列車が来るかわかっていないみたい。使えない奴らだ。

2018121524「予習」が嫌いなわけ

それは、「問い」があったから。
以上。

以下は涎部分。
たまたま、息子の化学の教科書(注1)があったので、手に取ってみた。高等学校理科用って書いてある。
1ページ目に、「本書の構成要素について」とあって、

問00 学習したばかりの内容を復習し、確実な理解を図る問題。

とある。
確かに、教科書を見ると、直前に「問い」の内容に関することが書いてある。そして、先生としては、直前の教科書内容を把握していれば、「わからないはずは無い」ような、本当に基礎的なことを問うている。だから、ちょっと考えてみてねってことだろう。
でもね、予習でひとり問いを考えなければならないのは、その分野を、まさに、これから学習しようとしている人だ。先生のように、その分野の常識を全く知らない。だって、これから学ぼうとしているんだから、知らないに決まっている。知っていたら、学ぶ必要はないわけだしね。
で、問いの内容は、教科書の直前のところには「直接」言及していないものがほとんどだ。ちょっとズレている。そのズレは、先生から見たら、「ほんのちょっと」のズレでしかなく、その分野の常識からしたら、教科書の直前の記述で言い尽くされているので、わからないわけが無いズレに過ぎない。しかし、学習者は、その機微はまだ知らない。教科書で言及されたところには、例が二、三示されている。問いのが4例目だったりするわけだ。
普通の学習者は、まあ、問いの意味するところは知っている。いや、答えを知っているという意味ではない。教科書において、問いというものの意味を知っているということだ。問い掛けられているものは、直前に教科書の記述に書いてある。例に示されているものとほとんど変わらないが、ほんのちょっとだけズレているかもしれない。やってみたりする。一応の回答を書いたりする。でも、それが問い掛けられたものの回答として良いものかどうかは、教科書を読んでもわからない。何せ、常識がないから。たぶん、これで良いのではないかという回答を用意できるが、これこそが問われているものであるという確証が無い。宙ぶらりんのままである。
先生は言うかもしれない。「そういう、課題をもって授業に望んでもらえれば、授業の一言一言が内に入ってくるでしょうから、疑問を持ちながら授業を受けるのは良いことだ。」そうでしょうか。
学び始めたものは、その問いに対して、まったくの反対方向の考えを持つかもしれない。常識がないから。まったく、筋違いの考えであるかもしれないということを、確定的に否定することができないでいる状態で、あるいは、疑問も抱かずに授業までの時間を過ごすことになる。
こういうのって、大嫌いだ。いちいちいちいち、「これはいったいどういうことなのか」と疑問のままいるのは嫌だ。それも、知っている人(先生を始め、その分野の方々)がいて、ということは、問い掛けられている内容に関しては既知の問題である。今更自分が考えたからといって、まず、何も生産しない。無駄である。
学び始めたものにとって一番必要なのは、ひとつひとつの例である。二、三ではなく、四つ五つ、十、二十、、、と、教科書で言及されていたことに関する事例である。ある程度の数を見て、はじめて、教科書で言っていたことがそのように取り扱われているということが納得できる。

ニュートン力学をやる際、使い古された悪い冗談がある。

第一法則(慣性の法則):質点は、力が作用しない限り、静止または等速直線運動をする。
第二法則(運動方程式):a=F/mの関係がある。
a:加速度(ベクトル量)←質点の加速度ね。
F:力(ベクトル量)←質点に働く力ね。
m:質量(スカラー量)←質点の質量ね。
第三法則(作用・反作用の法則):ふたつの質点間に力が働くとき、一方から他方に働く力と同じ大きさで反対向きの力が他方から(同時に)働く。
(少し、正確さに欠けるかもしれない。)

この三つの法則をとりあえず述べた後に、「これで力学の講義はおしまいです。この三つの法則から演繹的にすべての運動(ニュートン力学的な運動)は理解できます。」っていうようなのがある。確かに、教科書を追っていくと、新たな法則は出てこない。それらの法則を使って演繹的に運動を調べていくことができる。と、言えないことはない。
教科書では、「問い」を直前の記述から演繹的に解くことができるように記述してはあるが、三つの法則から初学者が演繹的にすべての運動を調べることができないのは、普通だ。程度問題はあるが、教科書の「問い」も同様に、初学者にとっては、なかなか厄介である。結論を確定的に述べるだけの知識も経験もないからね。
しかし、教科書は「問い」に答えることを要求する。これって、いじめ?パワハラ?

すべてを手の内に持っていて、その上で、未熟者に対してちょろっとだけ手の内を見せ、見せなかったものはさっと隠し、「さて、手に持っているものは何でしょう。そう、ちょっとだけ奥の方にあったんだけど、見えなかったでしょ?」って、そういうことをやっているのが「問い」だ。非常に気分の悪い扱いを受けた感じがする。人類が今までに獲得した宝物(教科書で取り上げている中身)を紹介するって言う態度ではないよね。
教室で行われていることは、このような、胸くそ悪いことである。宝物(授業の中身)がどれほど輝いていても、やる気にならないよね。いちいちこれだから。
というわけで、「いじめ」の元凶は、毎日の授業の進め方にあります。優秀な児童・生徒たちは、隣にいる児童・生徒に対して授業で習ったことを復習しているのであります。なんてまじめなんだ。いじめる子は、褒められる理由はあっても、否定されるべきものはない。

わたしは、予習が嫌いで、まあ、したことはない。

注1
ISBN978-4-410-81137-1
化学
平成24年3月15日 検定済
104 数研 化学 306

2018121625なぜ、ヘッドライトの隣にウィンカーがあるんだろう

日中はヘッドライトがついていないので、問題はない。しかし、夜間など(注1)ヘッドライトがついている時に、ヘッドライトの近くのウィンカーが光っても、見えにくいことがある。特に、雨の日。こちらの車のフロントガラスに雨がついていたり、内側が少し曇っていたりすると、ウィンカーが光ったり消えたりしているのがわからない。
全ての車のヘッドライトとウィンカーが近くにあるとは言わないが、ほとんどの車はそのように配置してある。規制はないんだろうか。とりあえず、二、三十センチメートル離してあれば、まず問題は起こらないと思うんだが。

注1:太陽が空にある時間帯でも、雲が厚いときは前照灯を使う場合がある。特に、雨風が強い場合、吹雪の場合は夜昼関係なく前照灯を使うものだ。

20181217 TGMKByte

ハードディスク(HD)やメモリの容量などを表すとき、バイト:byte:B(注1)で表す。接頭辞(接頭語とも言う)が付いていて、数字の桁数が多くなるのを避けている。
で、最近はギガバイト(GB)どころかテラバイト(TB)なんてのが手軽な値段で出てきて、自分のコンピュータを触るようになってまだ30年経っていないのに、すごい世の中になったものだ。
で、すごい世の中になったので、一般人(あきともを含む)はコンピュータ方面でしか見たことのない接頭辞が出てきて、それに対応しなければならない。コンピュータやスマホを使うに当たって対応しなければならないのだが、ちゃんとわかっていない人(あきともを含む)がかなりの割合いる。まあ、私の周りの単なるスマホユーザで理解しているとみなせる人はひとり二人いるともいないともという感じだ。

1B(1byte:1バイト:半角文字(注2)一文字分)
2B(全角文字、つまり、漢字もある日本語の文字一文字分)
1KB(キロバイト)=1000B(注4)
1MB(メガバイト)=1000KB
1GB(ギガバイト)=1000MB
1TB(テラバイト)=1000GB

以上で「説明終わり」ってしても、まあ、間違いじゃないのだが、全然実感が湧かないでしょ。私も沸かない。
というわけで、接頭辞を施したバイトがどんだけのもんかを、親しい「物」を媒介として見てみようと思う。

で、考えてみました。
まず、「ごまつぶ」を一粒用意してください。これを1mm刻みの物差しなり方眼紙なりに置いてみる。そうすると、私が用意した黒ゴマは、ざっと見、長さが3mm、幅が2mm、厚さが1mmである。きっちり直方体だとしたら、3*2*1=6mm^3(注5)=6立方ミリメートルである。丸っちいし、先も細っているで、そうだなあ、その半分か三分の一がゴマ粒の実際の体積かなあ。
そういうわけで、だいたいゴマ粒半分が1mm^3(1立方ミリメートル)である。
で、半分のゴマ粒(1mm^3)を1byteになぞらえてみることにする。

1byte=ゴマ粒半分の体積 ←これを基準とする。

1mm^3の立方体(サイコロの形)を10個並べると1cmの長さになる。それを10個×10個×10個と立方体に積み上げると、一辺が1cmの立方体ができる。これ、小さめのサイコロだね。
で、1mm^3の立方体が10*10*10ということは、1000個あるってこと。
というわけで、

1cmのサイコロ=1KB=1000B=1000個の「ゴマ粒半分」

ところで、1cm*1cm*1cmの立方体の水のことを1mL(ミリリットル)って言うよね。
これを、同じように10個ずつ重ねて立方体にすると、10cm*10cm*10cmの水になる。掛け算をすると、1000mL=1L(リットル)だ。これって、スーパーで売っている牛乳パック一本ね。

1Lの牛乳パック=1MB(メガバイト)=1000KB=1000000B

10cmの立方体を10個並べると100cm=1mだ。1mの立方体には10個*10個*10個で、1000本の牛乳パックだ(立方体に形を変えてみてね)。水だと1000L=1000kg=1t(トン)だ。伊達西小学校には1mの立方体の模型がある。と言っても、1mの棒を12本組み合わせて立方体を作っているものなので、中はスカスカだ。なんか、実感が湧かない代物だったな。
我が家の小さいお風呂は、ヒザを曲げて入らないといけないんだけど、だいたい幅55cm長さ93cm普通に入れて深さ40cm位なので、まあ、だいたい200Lだ。ということは、お風呂5杯分が1tね。

お風呂5杯=1GB(ギガバイト)=1000MB=1000000KB=1000000000B

小学校の25mプールって、深さとか幅とかいろいろあるらしく、決まった大きさではないらしい。でも、最小が長さ25m幅12m深さ1m(80cmからあるらしいが、正確さは求めない)で、大きめののが25m幅20m深さ1.4mくらいらしい。計算すると、380m^3(立方メートル)から700m^3(立方メートル)ぐらい。ということで、だいたい500m^3(五百立方メートル:水五百トン)というところだ。

25mプール2杯分=1TB(テラバイト)=1000GB=1000000MB=1000000000KB=1000000000000B

整理すると、

1B=ゴマ粒半分
1KB=小さいサイコロ
   200KB=200mLの牛乳パック
1MB=牛乳パック
   200MB=お風呂一杯分
1GB=お風呂五杯分
   500GB=プール一杯分
1TB=小学校のブール二杯分

スーパーで牛乳を買うとき、1Lのパックと500mLのパックと200mLのパックを間違って買う人はいない。まして、10トンのタンクローリーの牛乳と区別しないで買おうなんて人はいないに決まっているけど、HDの容量だと「メガだかギガだかって、わかんない。テラって何?」って感じの人が多い。そんなひとたちには牛乳パックとお風呂五杯とプール二杯なんかで考えれば、ちょっとは実感できるかな。
しかし、最近は、4TBより小さいHDは売っていないのね。8TBが二万円切っている。プール16杯分かあ。

ちなみに、70MBのHDを自慢されたことがある。「すっげーでっかい!!」と驚嘆したものだ。

T(テラ)の千倍はP(ペタ)ね。プール二千杯分の例って、思いつけないでいる。


注1
1byte=8bit
この辺の話は、今回はしない。

注2
「半角文字」はワープロ専用機の時代に定着したかと思う。1バイト文字のこと。つまり、AaBbCc....0123...,!@#$%^&*()_+|~`\=-:;"'<>?/などのこと。アメリカで生まれたコンピュータは1byte=8bit=2^8(注3)=256通りで余裕でコードできる文字数で十分使える。
しかし、日本には平仮名片仮名に加え、何万字なのか数えることもできない漢字というものが存在し、普段使う字だけでも256通りではまったく数が足りない。よって、2byte=16bit=2^16=65536通りのコードが可能なようにして文字を扱う。これを「全角文字」と言って定着しちゃった。2byte文字っていう方が良いと思う。なぜなら、書体のデザイン次第で半角文字も全角っぽくなるし、全角文字も半角っぽくなるからね。ワープロ専用機時代の画面ではいろいろな書体を扱わなかったので、「全角文字」とか「半角文字」で通用したけどね。

注3
数学の「累乗」を表す記号に「^」を使うのがコンピュータ方面では一般的だ。2の16乗を2^16という風に表現する。本当は、2の右肩に16を小さく書きたいのだが、ベタ書きが基本のコンピュータでは、「テキスト」での数学的な表現に工夫が必要である。表計算ソフトなど、数式を扱うアプリケーションソフトでは普通に採用されている。

注4
本当は2^10=1024倍を言っているのだが、この辺は十進法に強引に持ってきてしまって話をする。今回の話は「正確」ではなく、「だいたいの感じ」を問題にしている。

注5
掛け算の記号「×」は1byte文字にはないので、「*」を代用している。

20181218結着防止剤:セルロース

セルロースって、ブドウ糖(グルコース)がベータ結合でたくさんつながっている物質だ。たぶん、地上の有機物で一番多いんじゃあないだろうか。木の主成分ね。
で、人間は、セルロースも入っている菜っ葉や果物は食べるけど、セルロース成分は分解できない。草食生物(牛や羊など)は、葉っぱを食べて、分解して栄養にしている。が、自分の酵素で分解はできず、分解酵素を持っている微生物を胃や腸に飼っている。澱粉(でんぷん:ご飯やパンやめん類の主成分)もセルロースと同じくブドウ糖がつながっている物質だが、人間は(ほかの生物みんなも)自分でどんどん分解して栄養にしている。デンプンはアルファー結合で、圧倒的に分解しやすい。
木を分解して栄養にできるヤツって言うのは、キノコ類とか、動物ではシロアリさんくらいだ。シロアリさんも、自分では分解できず、腸内に分解屋さんを飼っている。
そういうわけで、人間は、木は食べない。それにもかかわらず、木を食わせられている。
ピザにかけるような、短冊状のチーズに入っている。わたしは、入っていないのを一種類しか知らない。あとは全部に入っている。原材料名に「セルロース」ってあるから、確認してみてね。
で、このセルロースはきれいに精製してあって、食べても害はない(分解できないからウンコになって出てくるだけ)。ふんわりした白い粉末だ。ただし、木くずは木くずなので、鉛筆の削りカスと同じ臭いがする。「これなーんだ?」って、食品に混ぜることのできる精製したセルロースを見せられたことがあるので、触って、臭いをかいでみたのでちゃんと知っているのだ。短冊状のチーズをパラパラのままにしておくためにセルロースが入っている。

害はないのかもしれないが、鉛筆のカスみたいなのを食う趣味はない。

2018121924「'」がない-西暦の省略

1955年産のわたしは、1900年代を45年弱生きたわけだが、西暦表示で世紀のところを省略するとき、「'(アポストロフィー)」を打って、
1962年→ '62年
このように記述するのが一般的だった。1900年代はね。しかし、最近は、とんと見かけない。黙って省略する。
2018年→18年ってね。
どうしてなんでしょうねえ。「'」があって、二桁の数字が来ると、「あ、西暦だ」ってすぐわかって良かったんですけどね。

2018122024月曜始まりのカレンダ

日本では、日曜始まりのカレンダが一般的だ。
手帳もかつては日曜始まりだけ?だった。しかし、ここ数十年、手帳は月曜始まりで週末の土日が後ろに来るレイアウトが主流だ。日曜始まりの手帳のコーナーにはわざわざ「日曜始まり」などと断り書きがあったりする。
そういう世の中なのに、カレンダは月曜始まりのものがほとんどない。手帳の月曜始まりの攻勢を考えると、もう少し月曜始まりのカレンダがあって良いように思うが、非常に限られている。
私が子供だった頃、手帳を使う習慣がなかったということもあり、目にするカレンダはすべて日曜始まりであった。長じて手帳を使うようになった時、土日の「週末」をひとくくりで考えられる月曜始まりの手帳を選んだ。予定を記入するには私の場合、月曜始まりの方が都合が良い。
で、月曜始まりに慣れてきたら、壁にかけているカレンダが日曜始まりだと頭がくらくらする。よって、すべてのカレンダを月曜始まりで統一したいのだが、まず売っていない。気に入ったレイアウトのは全くない。

2018122125シャープペンシルの芯の太さ

直径0.5mmのものが一般的だが、私は直径0.7mmのものを使っている。ついつい筆圧が高くなる私だけど、これだとまず折れない。

直径0.7mm → 断面積0.385mm^2
直径0.5mm → 断面積0.196mm^2
直径0.3mm → 断面積0.071mm^2

0.7のは0.5のほぼ二倍の断面積だな。かなり折れにくいというのはそのせいだ。
しか直径0.3mmのも見かけるが、おらないで使える人が、、、いるんでしょうね。すごい。

20181222長さ感覚1m

「1m」をいつでも感覚である程度正確に示すことができると良いなと思い、自己訓練を始めた。

おととい:105cm
昨晩 :105cm
今朝 :105cm

上記をかえりみて、かなり思い切って調整した今
:103cm

1mとは少し異なるが、かなり一定の長さ感覚を有しているともいえる。1mに対するズレも20分の1だから、誤差の範囲とも言えるね。
もう少し続けてみよう。

20181223多機能な機器

コンピュータが小型化して、機器組み込みのものは、ワンチップ?でいろんなものに入ってきた。テレビ、電話、カメラ、車、コピー機なんてところはすぐわかるだろうけど、冷蔵庫、炊飯器、精米機、スープメーカーなんてえのにもチップが入っていて、あれこれできる。あれこれするのは、プログラミングがなされているからだ。その機器でできることは、組み込みコンピュータへのプログラミングによってあれこれする。
で、あれこれできると、どんどん多機能になっていくのが通常だ。精米機でさえ、1合から6合までを1合きざみに設定できるし、精米度合いも、胚芽精米・白米・7分米・5分米・3分米(再精米兼用)と5段階に設定できる。それぞれに適する精米時間がプログラムされている。また、胚芽精米の時は白米の精米の時よりモーターがゆっくり目に設定されている。しかも、精米初めの十数秒は速めだが、その後は設定されたゆっくり目の速度に次第に移行する。なおかつ、モーター保護のため、連続30分以上は使えないようになっている。ちょっと休んですぐ次というのも出来ない。気が付いていないほかの自動機能もあるかもしれないが、精米機でさえこんな感じの機能が簡単に組み込めるので、テレビとか録画機とか電話機とかカメラとか車とか、それぞれのすべての機能に通じている人というのは、サポートセンターのベテランくらいじゃあないかと思うほどだ。
精米機に戻ると、タイマー、回転速度切り替えつまみ、過熱防止センサーがあれば、手動で同様の機能を使いこなせる。何をどうするかは表を見れば操作できるし、いつも使う機能はほぼ同じなのが通例なので、手が勝手に操作してしまうっていうところでしょう。
それなのに、あれこれあれこれプログラムが事前になされている。
で、プログラムの想定通りの使い方をする場合は使えるわけだが、ちょっとはずれること、たとえば、精米機で言えば、1.5合を精米するとか、そういうときに対応できなかったりする。
そもそも、プログラムするってことは、「事前」にすべての使い方を想定するってことを意味し、事前の想定外のことにはプログラムでは対処できない。多機能であっても手動操作を許さないプログラムだと(最近のはほとんどそういうのだが)、プログラムした人の想定外の事態にはまったく対処できない機器となる。
なんて感じで、多機能の押し売りかなと思う。

20181224「あきともパン」のレシピ

リンナイコンベックで焼くことを前提として。

粉1kgのパン(300gから1250gまで、下記の割合で)

800g :江別製粉の強力粉(船で運ばないのでポストハーベストはないでしょう)
200g :ライ麦粉(江別製粉のはなかなか売っていないのでドイツ産)
5.0g :スーパードライイースト(4gにしても大丈夫)
10.0g :塩(にがり成分の量によって水分量も違うが気にしない)
535mL :水(水道水で問題ない。冷たくてよい。5mLの違いが硬さに影響する)

1 ライ麦と強力粉とスーパードライイースト(ドライイーストとしか書いていないかもしれないが、予備発酵を必要としていなかったら、それはスーパードライイースト)をはかり取り、26cmのボウルにいれる。
2 水をすべて入れ、手で混ぜてひと固まりにする。
3 こね鉢に移し、2,3分こねる。
4 塩を入れる(一般的には最初から入れるようだが、イーストが気持ちよく活動する時間を少しでも与える気分)。
5 合計で15分程度こねる(手でこねていると、粘弾性特性が変わってくるのがわかる。変わってから二、三分はこねることにしている)。
6 ボウルに少し平らにして入れ、ラップを軽くかけ、冷蔵庫に入れる。
7 数時間から一日程度放置(長時間発酵なのだ。スーパードライイーストでも香りが豊かになる。冷蔵庫温度なら、一日以上放置しても問題ない)。
8 (スキッパーを出すのが面倒なので)包丁で二つに分け、丸めて二枚の天板にそれぞれのせる(ちぎってはいけない)。
9 発酵温度で60分間放置(タイマーの最長。もう少しやっても良いが、これでも問題ない)。
10 包丁で生地に4、5箇所の深い切れ目を入れ、220℃設定で48分間焼く。予熱はしない。
11 焼きあがったら、(湿気が拡散するように)下が適当に開いた空間に置いてさます(冷まさないで切ると、パンがねちこくなる)。
12 (さめる前に)切って食う(温かいうちの方がうまい)。

20181225経験値?

経験という言葉に「ち」を付けて、経験知(注1)という言葉は知っていたが、最近はやりの「値」を付けた「経験値」という言葉はかなり「変」だ。
経験というものは、するとかしないとかから始まり、多いとか少ないとかという話もあるが、何らかの「数とか量」があらかじめ決まっていて、それをどれくらい獲得したからどうであるかという話は、知らない。それにもかかわらず、「経験値」ということばが流行っている。
「値(ち:あたい)」という言葉の意味は、計測可能な数量においてのみ有効だ。それを、何らかの基準が存在しない経験の多い少ないをあたかも基準があるかのごとく「値」を付けた「経験値」という言葉を使うのはどういう意味を持たせたいのだろう。
使用例として、たとえば、野球解説者が「あのバッターは経験値が高いので、追い込まれてもボールになるシンカーを見逃すことができるんです」みたいな使い方だ。何らかの基準になる「経験」の段階があって、その「経験」の「値」が示されている発言ではない。こういう用例では何らかの基準になる値は存在しない。「経験」という言葉を使うなら、たとえば、「あのバッターは9回、2アウト、満塁の場面で、ボールになるシンカーを冷静に見逃すだけの経験を積んでいます。」とかね。「経験値が高いから見逃せるんです」はすごく変でしょ。
で、なんで「経験値」なんて言葉が流行っているのかと息子に聞けば、「それはゲーム用語でしょ」ときた。そういうのが得意なウィキペディアを参照しよう。
ウィキペディアによりますと、基本的にドラクエ用語らしい。ゲーム一般もね。
で、ゲーム以前からも使われているってことも書いてあって、参照元を見てみると、経済屋さんとかが次のように使っていたとある。
「石油危機後の経験値によれば、原油市場価格はOPECの余剰率(原油生産能力の未稼働率)と反比例する。」https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/yaruo_keikenchi
参照元の判断は、「現実の推移や結果との整合性が問題」と言っていたが、私は少し違うと思う。経済屋さんの用法は「経験したことのある値」の意味であり、「値」の性質が「(机上のシミュレーションとかではなく)経験によるもの」という意味であると思う。もちろん、ゲームにおける、獲得した「経験」の数を数えての「経験値」とは異なる使い方だ。
どちらかというと、「経験知」の用法に似ている。「経験知」は、「(書物などによるものではない実際に)経験したことのある知識」ということなのでしょうからね(注1)。

経験値:(獲得した)「経験」がいくつかという「値」

これって、ゲーム以外で使うと、かなり「変」だけど、多用されているね。

P.S. 大昔のゲームでは「経験ポイント」とか「経験度」って言葉が使われていたそうですね。(上記参照元参照)日本語的には普通の言葉使いだ。

2018122624コップ一杯の水を海に注ぐ

コップ一杯の水に印をつけて(注1)海に注ぐ。そして、海の水を完全に混ぜたとする(注2)。そして、その完全に混ざった海水からコップ一杯の海水を汲む。最初に印をつけた水分子はいくつコップにあるでしょう。

答えは700個前後。1000個には届かないかな。

次の数値から計算できるはず。もちろん、概算ね。まあ、詳しくやっても、だからどうっていう感じの話だから意味はない。

1 地球は、外周4万kmの球。
2 海洋の面積は、地球表面の三分の二。
3 海洋の平均深度は3.7km。
4 アボガドロ数は6*10^23。
5 コップ一杯の水は180mLとする。
6 水の分子量は水素二個に酸素一個だから1*2+16=18
7 水1mLは1g。

計算の過程は、そのうちにね。

注1
アイソトープにするって言うようなことが一般的だが、そのアイソトープが海水にあったら数を数えられなくなる。何らかの方法で印をつけたとしてという意味。あくまでも、思考実験。

注2
海洋の深層流は潜り込んでから二千年以上かかって湧き上がるという話もあり、実質的に混ぜる方法はない。こちらも、あくまで思考実験。

2018122725LEDの外灯と従来の外灯

LEDの外灯が増えている。町内会が整備している外灯もLED。電気代が安く抑えられて、よろしいようです。
で、疑問なのが、LEDの外灯の支柱は、必ず(だと思う)直線の組合せなんだ。ちょっと洒落めかしていて曲線が使われていたとしても、地面からの支柱と枝部分の接合部には角がある。曲線じゃあないんだ。その点、従来型の光源(ナトリウムランプとか)の支柱は曲線で作られている。必ず(だと思う)。
光源部分の保持方法はどのようなものであっても構わないと思うのですが、従来型のは曲線でLEDのは枝部分と垂直の支柱部分の接合部には角がある。いままで見かけたものには例外がなかった。

そうする意図が知りたい。

20181228スプレー缶爆発に対する武田邦彦先生の発言から

武田先生は「そもそも論」を語っている。忘れないうちに、あきともが理解した内容を補足しつつ記す。(当然ですが、この小論はあきともに文責あり)

スプレー缶に使われているガスは可燃性で、これは、燃料として使われているガスと可燃性に関しては同じである。物質としても重なっているものもある(参考 を参照)。
以前は燃えないフロンガスを使っていたが、オゾン層(注1)の破壊がわかり、使用禁止になった。温室効果ガスでもあり、温暖化の元凶の一つと目されている。よって、そのかわりにLPガスやジメチルエーテル(DME)を使うようになった。
都市ガスやLPガスは、燃える。空気との混ざり具合によっては爆発する。危ないので、いろいろ法規制がある。無臭だけど、気がつかないと危ないので嫌な臭いをつけてある。普通の人は、このガスが漏れているのに気がついたら、急いで栓を締める。窓を開ける。間違っても室内にそのまま放たない。漏れたら火花に気をつけて、換気扇などの電気のスイッチを入れるなんてことはしない。タバコに火をつけるなんて、バカだと思う。(気を落ち着かせるために、タバコを吸おうとしたヤツの話を聞いたことがある)
しかし、同じ成分なのに、同じように燃えるのに、ストーブの火のあるところでスプレーする。部屋にはタバコを吸っているヤツがいても気にしない。台所では火を使う。
ヘヤスプレー・静電気除去スプレー・防水スプレー・スプレー糊・スプレーのメガネクリーナーなどなど、スプレー缶は普通に生活のお供だ。今回のアパマンの爆発事故を起こした方は、消臭スプレーが爆発するとは知らなかったと言っているようだ。生活の供の上記のスプレーを使う時、「可燃性」を意識しない人は多いと思う。だって、燃料として使うんじゃないんだからね。

また、スプレー缶の捨て方に関する決まりの問題も指摘していた。
「使い切ること」って言うけど、通常の使用場所は「室内」ですよね。使い切るために、室内に噴射させるんですね、可燃ガスを。
穴開け作業は雪降ってる外でやれってかい? たとえ外だとしても、燃料のガスを外でシューシュー出すってどうなのってことだ。普通の人はやらないよね、危ないって知っているから。それを、同じ可燃ガスのスプレー缶でやれって言っている。(一部に「やるな」といっている自治体もある。国の指針もやるなだが、穴開けしてなかったら処理費がかさむんだ。処理体制を整えるのにも金がかかる)
どちらにしても、可燃ガスを使い切るため、残ったのを出すために、室内外を問わず、出させるのは危険だ。

じゃ、どうするんだって?

自治体、あるいは製造者が責任を持って回収するしかないでしょってさ。
アパマンは、責任をとって被害を弁償する方向で動いているようですが、燃料用のガスには規制をかけているのに、同じ可燃ガスのスプレー缶のガスには規制をかけないでいる行政側(国でしょうか)に根本的な責任があるから、そのことを鑑みたら、アパマンは被害者であるとも言えるってね。ちゃんと裁判すれば勝てるんじゃない? とも武田先生は言っていたような気がする。

注1:オゾン層は太陽からの紫外線が地表に降り注ぐのをかなり防ぐ。強い紫外線下では、生物はたまらんのだ。地球にオゾン層が出来てから生物は陸に出てきたという話もあるようだ。

参考
[都市ガス]
メタン90%くらい。残りをエタン・プロパン・ブタン。
(液化しにくいメタンが多いので、液化しないで気体のまま使う)

[LPガス]Liquefide Petroleum Gas:液化石油ガス(主成分がプロパンなので、「プロパンガス」とも言う。圧力かけて液化して扱う)
プロパン80%くらい。ブタン20%くらい。(その他の成分も多少あるが割愛)

[ジメチルエーテル]DME(メチルエーテルとも言う。たぶん、エーテルなんだからメチルと言えばふたつに決まっているってね)
変形分子式:H3C-O-CH3

[アルカン]有機化学で一番最初?に出てくるやつら

炭素数 名前:変形分子式
1 メタン:CH4
2 エタン:H3C-CH3
3 プロパン:H3C-CH2-CH3
4 ブタン:H3C-CH2-CH2-CH3
5 ペンタン
6 ヘキサン
7 セプタン
8 オクタン
9 ノナン
10 デカン
11 ウンデカン
12 ドデカン
....
....
....
たくさん 蝋

20181229地球を外周4mにしてみたら

1mという長さは、もともと地球を基準にして定められた。地球の北極からフランスはパリを通って赤道までの外周の長さを基準とした。それを一千万分の一にして1mとしたわけだ。
つまり、北極から赤道までの経線の長さである。
また、地球は球である。とてもゆがみの少ないデコボコが小さい球である。精密にはかると、ちょっと赤道が太った扁平だったり高い山や深い海があったりするが、少なくとも、スイカよりもバスケットボールよりもずっとずっと数学的に正確な球である。
そういうわけで、外周の長さが4mの球は、地球の一千万分の一の縮尺である。
π(円周率:3.14159265358979....)で割り、直径は約127cmである。そういう球を想像して欲しい。大きい方のバランスボールで75cmだ。中くらいのバランスボール65cmの二倍の直径だ。(体積は八倍だ)

一千万分の一=1/10000000=1/10,000,000=10^(-7)とあらわせる。

この小さい模型の地球の外周が4mだから、本当の地球はその一千万倍なので、外周は4千万mだ。ということは、4万kmね。地球上で移動するときは、たいていkmを単位とする。山の高さとか海の深さはm単位が普通だけど、今回は、比較のためにkmに合わせてみる。
実際の地球での1万kmが1m。一桁ずつ表にすると、

10000km→1m=100cm=1000mm
1000km→0.1m=10cm=100mm
100km→0.01m=1cm=10mm
10km→0.001m=0.1cm=1mm
1km→0.0001m=0.01cm=0.1mm

一番高い山はエベレストで、8.848km。一番深い海はマリアナ海溝で、10.920km。上下で約20km。最大の凹凸で20kmだ。
人にとっては遥かな高みにあるエベレストの頂上は、模型では海面から0.9mmほどだ。
そんな深いところにまで行く潜水艦はぜんぜん普通のではないマリアナ海溝は、海面下1.1mmにすぎない。これらは、この模型の地球上において、針の先ほどもない一点に過ぎず、普通は海洋の平均の深さが4km弱。山は、日本一でも4km弱。と言うことは、普通のバランスボールの直径の二倍の球の表面は、最大で2mmの上下。たいていは1mm以下の凹凸に過ぎない。最高峰でもゴマ粒よりも低いんだ。
海の厚さは、海洋の平均でいうと、3.7kmだから、0.4mm弱の薄い水の膜でしかない。
空気も、鉄床雲(入道雲が対流圏の上端まで成長して、横に広がって「鉄床(かなとこ:鍛冶屋さんが赤く熱い刃物を叩く台)」のようになった雲)の上端は、約10km。模型では、1mm。そこは約265hPaの気圧だ。ということは、空気の濃さは約四分の一。一応、その上にも空気はあるが、20km上空だと55hPaで、地上のほぼ二十分の一だ。その上には空気がほとんどないということだ(全空気の5%位はあるにはあるか)。
というわけで、空気なしには生きていけない我々は、ほんの1mmの厚さの空気層の中で生活している。大目に見積もっても2mmくらね。
無限に広く思えた深い深い海も、どこまでもどこまでも上にあるように思えた空気も、0.4mmとか1-2mmの薄い薄い層でしかない。

なんか、井の中の蛙の気分。

2018123024地球の歴史を長さで表す

「地球の誕生から現在までを一年に置き換えると」、というのがある。「地球カレンダー」とかいうらしい。それによると、現生人類(つまり、われわれ人類)は、12月31日午後11時37分にやっと出現したとか、そういうことが書いてある。(諸説の中で、20万年前の出現として)
これって、最後の最後だってことはわかるが、実感しずらい。つまり、一年の長さと二、三十分の体感的な比較をせよということで、まあ、無理だ。少なくとも、わたしにはできない。
人間は、視覚によった感覚に優れている。特に、概念的なことは視覚が得意かと思う。よって、地球46億年の歴史を「長さ」で表してみようと思う。うまくやれば一望できるので、より理解の助けとなる。
1億年を1mの帯で表すと、46m。6畳間だと苦しいが、学校の教室なら二、三周で可能かな。

1億年→1m
1000万年→10cm
100万年→1cm
10万年→1mm
1万年→0.1mm

日本史はおろか、文明の歴史(文字を持つようになってからとする。長く見積もっても1万年にならない)、現生人類の歴史を記述する長さがないな。でも、とりあえず、「1億年を1m」は譲らない。地球の歴史の中での人類の歴史を俯瞰するためには。

2018123124「全域停電復旧泊原発を優先」について

今日の道新朝刊2面の記事だ。
9月6日のブラックアウトからの復旧に、北電が泊原発を優先したことの是非に関する記事だ。
原子炉はすべて停止中だから稼働中の原子炉の核燃料を冷やす必要はなかったわけだが、冷却プールにある使用済み(まだ使用可?)の核燃料を冷やす必要があった。ただし、それは、使用をやめてからかなり時間がたっているので、一秒二秒を争って冷却しなければならないというものではない。
ブラックアウトして、電気が来ないけどプールを冷やさねばならないのだが、そこは、6台の非常用ディーゼル発電機でまかなうことができた。(ここんとこ、道新の記事では「まかなかった」と日本語が変。「まかなった」の打ち間違いと類推してあげる)それは、(燃料 の備蓄量から言って)一週間持つから、非常時の病院とかを優先させるべきじゃなかったのかという論調だ。北電は、電力を徐々に復旧させる作業に入るわけだが、しかし、 その最初の供給先に泊原発を選んだ。
北電は「電源を重複化することが必要」と言っている。それに対して、「規制委員は原発優先の停電復旧までは求めてはいない」とか原発廃止派の小野有五先生も「患者の命が危険にさらされている病院より、(ディーゼル発電機で当面は過ごせるから)送電が不要なはずの原発を優先した。北電の姿勢が云々」とおっしゃっている。
「電源を重複化することが必要(北電広報)」というぬるい言葉づかいで道新は紹介しているけど、北電の本心は違うところにあると思う。非常用電源に頼っている状況をどのように北電は捉えているかというと、「首の皮一枚でなんとかつながっている」ということだ。

北電の公式ホームページの公式文書がある。
-----------------
平成30年9月6日
北海道電力株式会社
停電の状況について(9月6日6時現在)
(全電源が落ちていることを述べた後)
泊発電所については、外部電源は喪失しておりますが、非常用電源により受電しており問題はございません。
(次に、ごめんなさい定型文)
-----------------
つらーっと軽く原発について触れているが、全道に電気が供給されなくて、全道のお客さんから矢のような視線を浴びせられているなかでも、原発の現況に触れずにはすまされない状況がうかがえる。
そして、ブラックアウト直前に、北電は泊への供給をなんとか維持しようと極限の作業を試みている(道新で読んだ)。原発への電気の供給がなにより最優先であるのは、配電係の超重要案件だと思われる。地震であれよあれよと連鎖的に供給がおかしくなっていくときに、北電の配電係りは、必死の思いで泊原子力発電所に供給を続けることを試みている。結局は失敗したけど、最優先課題だったんだ。

わたしは、この北電の泊原子力発電所に対する認識は正しいと思う。非常用電源のみが冷却用電源であり、原子力発電所施設の電源である状況は、薄氷を踏みながら一秒一秒を過ごしていると北電は意識していると思う。だから、何よりも優先して泊への送電をした。病院の患者の命になんて構っている暇はなかった。

原子力発電所って、そういう存在なんだ。

2019010124道内交通死過去最少だが

速報値とのことだが、漸減傾向のようです。
しかし、全都道府県中ワースト8位だそうです。
この順番って、都道府県が一単位で、その中で死者数がどうなのかという順位ですよね。都道府県のそれぞれの人口のことはまったく考慮されていない。交通事故が多いか少ないかは、人口当たり年間何人かということの方が重要かと思う。交通事故死の起こりやすさはそっちの方が実感に近いかと思うので。
そして、人口密度に対してはどうであるかとか、住人の年齢構成分布との関連はどうであるかとか、そういう検討をして、その上で交通事故が起こりやすい地域というものをあぶりだすべきだと思う。そうでなければ、有効な対策は出てこないし、検証のしようもない。所轄の警察とか行政単位の「勝ち負け」みたいな発想からは、状況はわからない。

2019010225「再生可能エネルギー」とか「自然エネルギー」という言葉

ウィキペディアによると、「絶えず資源が補充されて枯渇することのないエネルギー」、「利用する以上の速度で自然に再生するエネルギー」だってさ。経済産業省 資源エネルギー庁によると、「一度利用しても比較的短期間に再生が可能であり、資源が枯渇しないエネルギー」と、同じような意味の定義がなされている。しかし、「エネルギー」という言葉の修飾に「再生可能」とか「自然」とか付けて上記の意味で使うのは、すごく違和感がある。あまりにも無理すじだと思う。
熱力学の教科書の最初に「エネルギー保存の法則」が書いてある。閉じられた系において、エネルギーは湧いてきたり無くなったりしない。そこにあるエネルギーはそのままあるのだと言っている。ただし、形態はいろいろ変わる。
結局、「再生可能」ってことばで言いたいことは、「(使っても)湧いて出てくる」ってことで、本来は閉じた系では増減がないわけで、じゃあどこから出てくるかといえば、太陽から来るのと地球が持っているものだ。太陽からは電磁波が来る。地球内部からは熱が湧いてくる。地球が回転しているから、それに伴って生じるエネルギーも一見湧いてくる。
一方、使ったらなくなるものは、石炭・石油・天然ガスなどだ。これらは「物」として掘ってきて、燃やしたら手の内から消えてしまう。ウランも反応させたらウランじゃなくなるわけだから、同様と言える。「再生可能じゃない」エネルギーって、「物」として存在している。化学エネルギーってやつかね(ウランは核エネルギーだけど)。まあ、「再生可能」と言わしめるエネルギーにも「物」を介するのがあるが、たとえば、バイオマスとかいうもの。木とか糞とか植物の体(人も食う澱粉)から作ったアルコールとか、そういうのは化学エネルギーを持った「物」だけど、それらは太陽の光のエネルギーやそれによって作られた物(穀物とか牧草とか)から作られたから、「物」自体よりも、そのものを作ったエネルギーを意識する。
太陽もやがて光らなくなるし、地球内部の熱も次第になくなるし、地球の回転も遅くなる。だから、それらも湧いて出てくるわけではなく、使える形でなくなるのは「物」のエネルギーと同じだ。ただし、「物」の方は、掘って使ったら最後勝手に補充されないけど、太陽起源や地球内部起源や地球回転起源のエネルギーは、人の目の前にあるものが無くなっても目の前でないところから補充される。それをもって「再生可能」って気分なんだろうけど、人類は「エネルギー」をもう少し本質的に理解しているはずだ。

「非化石エネルギー」あたりが正確な言葉かもしれないが、「湧いて出る感」がないし、「直接言い当てている感」もないので人気は出ないだろうな。わたしも良い言葉だと思わない。
たぶん、使えるエネルギー自体はただ(無料)で手に入るっていうところがミソだ。バイオマスはそうでもないと言われそうだが、それも、バイオマス生産も含めれエネルギーはタダだ。その点、化石燃料は、そこにあったものを勝手に掘ってきたと言えはするが、エネルギーを使う側の視点では、取って来る人は別なので、取ってきたものを買うという意識となる。化石燃料以外は、たとえバイオマスの生産者とエネルギー消費者が別でも、「あいつはただのエネルギーを使ってバイオマスを作った」と言うだろうし、太陽光も地熱も潮汐もタダだって思うだろう。あ、風のエネルギーは基本太陽光由来ね。
そういうわけで、「再生可能エネルギー」じゃなくて「ただエネルギー」って言うのが良いと思う。

(読み返してみると、二重基準でエネルギーって言葉を使ってるなあ。ま、いいか。エネルギーを使う時の意味は「有効エネルギー」ってことで

2019010324いつから曜日は始まったのか

例によって、ウィキペディアによると「週・曜日の概念は古代バビロニアで生まれ、紀元前1世紀頃のギリシア・エジプトで完成したと考えられる」ってあるんだけど、それはそうなんでしょうが、そして、週の初めは日曜日か月曜日か土曜日かってことも、それはそれで良いのですが、気になっているのは、そもそもいつからどういうことで始めたのかと言うこと。
大王様がいて、「今日を週の初めの月曜日(日曜日なのか土曜日なのかかも)とする。以下、一週間を毎週やっていきましょう」って感じで宣言して始まったのかと言うこと。
ウィキペディアによると、曜日の基点について「日付から曜日を特定するには、ある1日についてそれが何曜日かを決めておく必要がある。これは古代からデファクトスタンダード(事実上の標準)として暗黙裏に広く認められ使われていた」とある。
ありえない。星を七つ選んで並べて順繰りに「日」に色付けするってことを始めるのに、ずるずるでやっていたから今日は金曜日ってのはあり得ない。基点が何らかの権威をもって宣言されなくて、どうして今日が金曜日と言えよう。たとえその宣言の事実が忘れ去られたとしてもさ。

2019010424十日間の断酒

久里浜のお医者さんが、昔新聞の連載で「うーん。十日間の断酒を自分の意志でできたなら、ま、一応、アル中でないってことにしていいかな」って感じのことを語っていた。一週間はダメだって。週日飲んでなくても、週末ドリンクは結構良くないってさ。

2019010525マニュアルシフトは趣味だったのか

(限定解除してMT免許にした先輩への手紙)
スバルのスポーツタイプっぽいのに乗っているほぼ同い年の女性がいる。夫さんのことは知らないのだが、夫婦で「マニュアルシフト以外は車じゃない」くらいの方々らしい。近いところに住んでいるのだが、車で来たりする。しかし、どこで走りを楽しむのかなと思う。
我が家の車は、移動手段でしかないので、積みたいものが積めて移動が楽なら文句は言わない。そういえば、買った車はすべてATだった。すべて中古車でもあったが。
まあ、そういう心境でいられるのも、バイクの経験があったからで、バイクに乗っていなかったら、車でちょっと攻めてみようって気になったことだと思う。そして、たぶん、すでにこの世にはいない。
車の免許は26歳。遅い部類。バイクは、その二年半後にとっている。ほぼ30歳。所沢では原付で通勤して、ツーリングして、車に絶対勝てないあの出足の遅さはとても怖かった。休みを全部つぎ込んで中免を取ったような気がする。後に大型にも挑戦したが、試験場での試験には数回落ちて、すべての休みをつぎ込むこともできなくなり、断念した。ちょっとハードルも高かったしね。今は、話によると、教習所で限定解除の試験を受けられるっていうのを聞いたような気がするけど、ホントなら夢のようだ。
大型のバイクにはATのもあるようなことをどこかで読んだが、バイクはマニュアルシフトだ。アクセルとクラッチとシフトペダルは、私レベルでも回転数を合わせながらシフトダウンとか、ブレーキを最大限きかせながらシフトダウンとか、前輪が滑るぎりぎりまで強くブレーキをかけるとか(全部ブレーキだなあ)、くらいはできる。峠を攻めると死ぬので、攻めはしないけど、技量の7、8割くらいの感じでも、バイクなら道を楽しめる。飯能あたりとか、近場でも田舎道は楽しい。しかし、車ならそのスピード範囲では楽しくない。倍とまでは言わないが、50%upじゃなきゃスポーツ感は出てこない。すぐに捕まるし、ちょっと間違えたら谷底だ。
そういうわけで、車はマニュアルシフトに全くこだわらない。乗らねばならないのなら拒まないが、楽しくはない。特に、渋滞では面倒くさい。いちいち小まめにあれこれしなくちゃならないので、寝てられない。
街乗りはATが良い。しかも、わたしは左足ブレーキだ。
これには理由がある。狭山から横浜まで子供たちを乗せて移動すると、まあ、軽く4時間はかかる。休憩時間を入れないでだったかな? 忘れた。連休の環状線はじっくり渋滞で、右足でアクセルとブレーキを微妙な踏力で踏み分けていたら、右足のすねの筋肉がつった。渋滞中にどうしようかと思ったよ。それで、当時F1ではATになってきていて、ハッキネンが左足ブレーキにしたら速くなったとか言っていたのを思い出して、左足ブレーキに変えた。会社の車で移動するとき、通勤のときと、ひとりで乗っている時に何ヶ月も練習して、左足ブレーキを体に教えた。とっさの強いブレーキも踏めるようになって、お客さんがいる時も左足ブレーキを解禁したものだ。車のマニュアルには「左足ブレーキは絶対にしないでください」とかあるけど、無視。もちろん、他人には勧めない。絶対に間違えないまで練習することが必須だからね。でも、アメリカ辺りでは、AT免許では右足アクセルの左足ブレーキってのを教えているってのを読んだことがある。車も、ブレーキペダルは左足用に作ってあるって話だったが、日本車は左足のためには少し意地悪な位置だ。
そういえば、中嶋悟さんは、スカイラインだったかなあ、自分の車で仕事が終わってから夜に峠を攻めて練習したようだが、ATだったんじゃないかな。左足ブレーキかどうかは知らないが、ATでも速く走る方法はあるって言っていたな。具体的なことは書いてなかったけど。知りたいな。
そういうわけで、車ではほぼATです。そして、左足ブレーキで、微妙にアクセルとブレーキを両方かけている時間を作ると、車は安定してコーナーに入りスムーズに抜けていくことができる。これは、MTではできないこと。
とはいうものの、ATは精神衛生上良くないことが多々ある。
ギヤの変わり目くらいの速度がその道での巡航速度の時は、いらつく。どっちかで固定したいのだが、いや、機敏な走りはその際は必要ないので、ハイギヤで固定したいのだが、行ったり来たりする。それが嫌なので速度違反をするって誘惑にかられる。デリカが長かったが、そういう感じだった。
セレナはCVT(Continuously Variable Transmission)で、二段階(三段階だったかなあ)になっていたが、冬道の36号線で駆動力を保険のために担保しておきたかったから一段落として運転していたら、アクセル開度が小さいのが長かったら、自動的にハイになっていて、自分でやったのかと疑ったが、何度か同様になって、ディーラーに聞いたらそのようにプログラムされているとの回答があった。どうしてそのようにプログラムしたのかと聞くのを忘れたのが悔やまれるが、アクセルと駆動力の関係は、私の感覚とは異なることが多く、プログラムした奴を後ろからどやしてやりたいといつも思っていたものだ。その点、今乗っているホンダの初代FitもCVTだが、そのプログラムは私の感性と違わず、そうあって欲しいというアクセルレスポンスであるというもので、CVTというトランスミッションが悪いのではなく、プログラムの方の問題だと今では結論づけています。
プログラムというのは言うまでもなく「想定外」に対処してくれないわけだが、車の運転というものは突然のことに瞬時に対処しなければならないわけで、「想定外」は許されない。で、日産の最近の小型車(車名を忘れた)を代車で借りたことがあったのだが、前輪駆動なんだけど後輪がモーターで多少駆動されていて(e4WDとか言ったっけ)、横滑りなんかの姿勢制御に使われている。
で、冬の終わりに、北の方から大麻13丁目に走っていた。ほとんど大麻に近くなったところで、融け残った厚さ3-4cmの氷が道路の端から少し中にあった。ほかはアスファルト路面。ちょっと左タイヤが乗ってしまったわけだが、普通は、その程度のデコだと、ステアリングをきっちり真ん中にもって動かないように保持し、アクセルもそのままを維持していれば、ポンっと車が右に平行に跳ねるけど、それだけのことで、中央線を越えることもなく、何事もなく走っていけるというものだが、その時もそのように操作したのだが、いきなりダッチロールを始めた。ステアリングを素早く左右に切って中央線を出ないように試み、アクセルはじわっと緩めた。もう少しで反対車線に飛び込むところだったが、そして、前からは車が走ってきていたが、五六回ステアリングを切ったところで収束してくれた。あれは、後輪の駆動に関するプログラミングの「想定外」のことに対する回答だったんだと思う。ダッチロールがね。死ぬかと思った。
そういうわけで、プログラムが関与するあれこれは、どんな問題が潜んでいるかわからないので、好きではない。でも、ま、トランスミッションならば、ちゃんと前に進まないってだけで、事故ることもないかと思う。でも、気持ち悪い。
そう考えると、マニュアルのトランスミッションは精神衛生的にはよろしいものといえる。
そうそう、マツダはほとんどの車種にマニュアルトランスミッションを残していると言っていましたね。割合はホントに少ないんだけど、走りのマツダは残すってことでしょうか。マツダはほとんど廃車寸前の仕事用のバンを運転したことしかないのであんまり言えることはないけど、普通に言うことを聞いてくれたと思う。
日産は、嫌いだ。走りの感覚が私と乖離している。微妙におせっかいで微妙にズレていて、かつ、言うことを絶対に聞かない。
トヨタは、だるい。
ホンダは、その車の持っている能力を気持ちよく表現しているかな。(バイクはヤマハの方がタイトだと思う)
あとは知らない。そうそう、軽のミラを運転したことがある。かなり前の奴だったということもあるのか、少し強めにブレーキをかけたらフレームがよれて頼りない。
MTは、十年以上運転していないかなあ。十年くらい前に、代車のMTを運転したのが最後かな。その前は、どこまでさかのぼるかわからない。会社のトラックは当然MTだったし、なんだかんだとATは少なかったから、あれこれMTだったが、楽しむならバイクでしょう。
息子にはMT免許を勧めたが、却下されちゃった。「フィリピンとかだとMT車じゃない?」って言ったけど、聞く耳を持たなかった。まあ、日本においてはトラックとかバスとかじゃなかったら必要ないかな。それさえもATがあるらしいし。

20190106ビートルズの写真の目線

四人ともカメラ目線な写真は、ビートルズ・フォー・セールくらいだよなあ。サージェントもそうとも言えるが、一枚の写真なんだろか。

2019010724イスラム教を「中国化」する

「共産党の指導よりも信仰を重視しがちな宗教への統制」だってさ。『誰がボスか、わかってるな!』ってことだと思う。
「習近平指導部の意向を受けた中国イスラム教協会側は「イスラムの信仰や習慣は変えない」としている」ってことだが、もちろん、この文言はいつもの「お約束」だ。発言者はもぞもぞと定型文を決まりだからつけ足しているだけっていうぞんざいな感じで早口で流しているだけ。たぶん。
そして、こういうことでもある。「キリスト教についても同様の動きが進んでいる。」
教皇フランシスコは中国側と友好的にお話しして、中国政府公認の司教を認めるとか何とか言っているようだが、大丈夫か。

参照:1/7(月) 19:57配信 朝日新聞社(北京=延与光貞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190107-00000049-asahi-int

2019010824正月は

新しい年の数字をテレビからご教授を受けつつ、一年間を間違えないで過ごせるように書いて練習する。まじめにやっておかないと、重要書類を書くときなどにひょいと間違えるので、まじめに練習する。

2019010924アカモク

海藻。昆布やワカメと同じ褐藻類だって。オホーツク海?を除く日本の沿岸から、朝鮮半島、中国、ベトナム北部くらいまで分布しているようだ。生命力も強いらしい(ウィキペディア参照)。つまり、普通にどこにでもあるってこと。
フコキサンチンという脂質が含まれていて、がん細胞の増殖抑制作用や強い抗炎症作用、抗酸化作用があり、なおかつ、抗肥満作用や抗糖尿病作用があるということで、メタボ爺さんには最適な食材であるといえましょう。
しかし、大戸屋でしか食べたことがないなあ。
参照:https://365.college/kenko365_3624.html

2019011024 唐突に1920

年間1920時間を超える残業をしているお医者さん(勤務医)の割合は、約一割だってさ。それで、なんで唐突に1920という数字が道新の紙面に出てきたのかなあと、12で割ってみたら、160。月に160時間の残業を年間を通してやり続けた場合の数字が1920。
過労死ラインと言われているのが月80時間の残業なので、とりあえずその二倍と言うことで160。それを12倍して一年間。
ふむ。
月160時間の残業って、月に25日勤務日があるとして、一日当たりの残業は6.4時間。仮に、通常は9時から18時勤務としたら、退勤は0時半前くらい。
ま、この想定では、月に5日程度は休めるわけだが、たぶん、そうではなく、休みの日が間引かれて、よって、普通の勤務日の平均残業時間はその分減って、たとえば、12時間勤務の休日出勤が月に二日として、一日当たりは5時間半くらいだから、退勤時刻は日を改めていないから大したことはないってかあ? 当直勤務があり、当直明けに通常勤務をしたり、そういう感じでいつも朝九時仕事始めって感じの勤務は考えずらく、体内時計は宇宙時間だな。
この想定は、夏休みも冬休みもないわけで(盆も正月もないわけで)、もしもまとまった休みがあったなら、月に3回あったはずの休日が、2回くらいに減るだけで、大勢はどんどん悪くなる。
なおかつ、一般的に、勤務医を一年二年で辞めるってこともないわけで、こんなんで生き続けているのが不思議な状況と言わざるを得ない。
上記の一日は、あくまで平均の話であって、帰って寝る時間もなく、病院のどっかで数時間仮眠するだけの場合が勤務日の半分くらいあるような条件ともいえる。(仮眠も取れないのがその内の何割かは、恐ろしくて私には検討できない。)
一般的に、このような条件で勤務すると、一週間か十日もすると、作業効率が半分に落ちる。間違えないように確認する時間が作業時間を倍にする。それで、間違えなければまだ良いが、普通は間違える。あとで修復可能なちょっとの間違いならまだ良い。でも、間違えたのを原状回復するにはかなりの手間と時間が必要になり、作業効率を大きく下げる。作業効率は半分以下にすぐなる。そんなことをやっているうちに、原状回復不可能な間違いを頻発するようになるのが普通だ。十日もすれば、人間なら皆そのようになる。
勤務医一般の残業時間の上限は、年960時間と一応決められているようだが、それを順守すると「急激な労働時間の削減」となるらしい。そんなことを順守したら、地域医療が崩壊するって。だから、年間1920時間以上の2000時間程度まで特例とするってさ。35年までは認めるってさ。(ところで、35年って、西暦で?平成で? 平成なら四年後には廃止だけど、西暦なら16年後の話をしている。この記事は西暦で書き始めているから、西暦なんだろうね。10年以上先のこういう話って、事実上「永遠」に来ない未来の話だ。)
この話は記事によると、医師の働き方改革に関する厚労省案のはなしで、そもそもが2024年4月からのことを論じている。今年が2019年であるってことを忘れそう。来年ではなく5年後の話だ。5年後と言うのは、「10年後」に準ずる期間だ。つまり、「ほぼ永遠の未来」の話である。一応、「ほぼ」を付けたが、もちろん、事実上永遠に来ないことに変わりはない。
そんな先のことを、今決めようとしている。五年後の2024年の4月からの医師の残業の上限を年2000時間で良いことにしようって。これは現状のままであり、その上、2035年年度末の16年後(17年後かなあ)まではそれを続けることを厚労省は決定しようとしている。厚労省は、勤務医の残業のひどいのを未来永劫改善するつもりはないってことね。まあ、確かに、イギリスは中国に香港を99年間借りるってことで契約をして、99年後に返還したって例はあるから、あながち永遠に来ない未来ってわけでないのかもしれない。
(99年借りるって、もちろん、永遠に借り続けるってことを洒落て言ったに過ぎないんだけど、中国はそんなこと知らないふりして「そろそろ99年になるんだけど、どういう手順で香港を返してくれる?」って感じで交渉したはずだ。交渉はこれくらいしたたかじゃなきゃね・・・。厚労省は、5年後17年後のことまで心配して、今のうちに手を打つという、したたかと言えばしたたかだ。勤務医の現状を改善するとかの仕事を全然してしてないし、する気ないのに、こんなことばかりやっている)
道新2019.1.10夕刊9面を参照

2019011124ウィンドウズの更新プログラム

死ぬほど時間がかかる。進行具合の%表示は、ダウンロード時間とはまったく比例していない。

おやすみなさい。

20190112なまった日本語

列車内の案内の英語バージョンで駅名をなぜ 英語訛りで発音するのだ。 駅名は日本語なので、日本語として正しい発音・抑揚で発声すべきである。あれだと、英語話者も日本語話者も、なんて言っているかわからない。いつもの駅でなく、初めての駅で日本語話者が英語バージョンで言っている日本の駅の駅名(日本語)を聞き取れないでしょう。英語話者も、知らない日本語を聞いたまんま発音して日本語話者に聞いても、通じないでしょう。

2019011323モノラルで良い

現在の音楽機器は、「すべて」ステレオ対応だよね。iPodをはじめ、スマホでもなんでも。MD(過去のものになったようだ)、CD(まだ現役)、FM放送、ストリーミング。何でもステレオ。しかし、今は、Hi-Fi Set(ハイファイセット:High Fidelity Set:高忠実性を持つ音を出す装置の一組:高級ステレオセット)はほぼすたれた。超マニア以外で、昔のように高級(あるいは高級もどき)ステレオセットの前に座って、煙草をくゆらせながら、あるいはコーヒーを片手に音楽を堪能するという様式を取る人はいない。若者に限らず、手軽な、そして、ぼちぼちな音質の両耳イヤホンで聞くというものだ。あるいは、パソコン付属のちっこいスピーカーで聞く。ちょっと音質にこだわって、13cmくらいの高さの箱のスピーカーボックスをふたつパソコンの脇に置いて聞く。
あとは車で走行中に聞く。これもステレオ。「カーステレオ」って言葉はかなり前に聞いたが、超豪華な機器を車に取り付けるのがはやったのは今は昔。車のドアの中に仕込まれたスピーカーで鳴らす音楽。
移動しながら、パソコンしながらついでに、そんな感じで音楽を聞く時、ステレオである必然はない。モノラルで十分。いや、モノラルの方が良い。
というのは、高級(もどき)ステレオセットを一番良い状態で聴こうと、まずは音が入ってこない静かな部屋を用意し、あれこれ機器の位置を変え、部屋の調度を変え(カーテンの問題とか吸音用の壺のかわりのものを考えるとか椅子などの音の反射具合を気にするとか)、機器の組み合わせを変え、重たいブロックを買い込み、カートリッジをいろいろ試しと、それなりに工夫してみた経験から言うと、ステレオの音場をそれなりに整えるのは至難の業だ。配置がちょっとだけダメであっても、ステレオの音場は崩れる。下手にステレオに固執するより、モノラルでやった方がずっと気持ちの良い音になる。
高級(もどき)ステレオセットでこれである。それを、安物の機器でステレオにし、かつ、移動中、ながらで聞くというのだ。周りからの雑音(生活雑音・交通雑音・仕事環境雑音)の中で聞くのだ。ステレオの音場の広がりは堪能できない。ほぼ邪魔だ。
モノラルが良い。

2019011424「教科書を読めない子供たち」ってのがあるらしい

読めないのは今に始まったことではない。絵本ではない、絵本の文ではない少し論理的な文を読む機会は、小学校一年生になってから、教科書で触れるのが初めてという子が多いのかな。そういう子に、ああいう教科書を与えるから書いたものに興味を引かれず、つまり、教科書を読まない。読めない。
新井紀子って人がリーディングスキルテスト(RSTだってさ。日本語できないのかね、この人)ってので中高生を調査点検している。例にあげられていたのをかなりの割合の中高生が間違うって言うのはいかがなものかと思うが、そもそも、そこに書かれている例文に登場する物や地域や人やら何やらについてなんの知識もなければ、つまり、「土地勘」的なものがなければ、事物の関係をとらえるのはかなり難しい。私は幸いにそこで取り上げられている事物事象などの概要は事前に知っていたので、文に書いてあることをすぐに理解できたし、質問にも間違えずに簡単に答えられた。わたしが小手先で対処できる程度の簡単な事項の理解を間違える中高生はいかがなもんかというのが新井先生の主張だが、それはちょっとズレていると思う。だって、「読解力」の話なんだからね。
たとえば、中高生には人気で知らぬものはいないが中高年には知るものはほぼいないアニメ・ゲーム・アイドルなどを取り上げて、新井先生が出した問題を書き換えてみたら、たぶん、中高生の正答率は限りなく100%に近づき、私や新井先生は間違えないように三度読みしても不安が残るってもんだ。新井先生の例題はそういうもんだよ。
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2019年 1月14日北海道新聞9面より

RTS例題1

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 幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。

 上記の文が表す内容と以下の文が表す内容は同じか。「同じである」「異なる」のうちから答えなさい。

 1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。

RTS例題2

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 仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアに広がっている。

この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

オセアニアに広がっているのは(   )である。
1 ヒンドゥー教 2 キリスト教 3 イスラム教 4 仏教
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あきとも例題1

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ラペタは始元5023年にシュンマリを追放し、ゲエモテにはジェカイ地方の警備を命じた。

 上記の文が表す内容と以下の文が表す内容は同じか。「同じである」「異なる」のうちから答えなさい。

始元5023年にシュンマリは追放され、テレはゲエモテからジェカイ地方の警備を命じられた。

あきとも例題2

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エケテはシエメン、シエメソに、テケテはカセア、キミ、東西ミハミテ、ミハセテに、イエンテは北ケンペス、セレッシア、コンサク、コンサコに広がっている。

この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

ミハセテに広がっているのは(   )である。
1 エコデ 2 キミ 3 イエンテ 4 エケテ
==========================
あきとも例題なら、上から目線ではなく、同じ土俵にたって評価できるかもね。わたしは自分で例題を書いていて間違えそうですけど、新井先生は如何に。知識のない中高生なら、あきとも例題をやるのと新井例題をやるのとほとんど同じだと思う。でも、世界史とか日本史の知識がそれなりにあれば、それを裏切った文ではないので、その常識と照らし合わせても間違いは検証できるので間違わないのだ。
そうだ、あきとも例題をもう一組思いついた。
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あきとも例題3

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 大名は、1639年、幕府を追放し、ポルトガル人には沿岸の警備を命じた。

 上記の文が表す内容と以下の文が表す内容は同じか。「同じである」「異なる」のうちから答えなさい。

 1639年、幕府は追放され、大名はポルトガル人から沿岸の警備を命じられた。

あきとも例題4

  • 次の文をお読みなさい


 仏教は東アジア、ヨーロッパに、キリスト教は中央アジア、北アフリカ、東南アジアに、イスラム教はオセアニア、南北アメリカ、東南アジア、西アジアに広がっている。

この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

中央アジアに広がっているのは(   )である。
1 ヒンドゥー  2 キリスト教 3 イスラム教 4 仏教
==========================
なお、私の例題は、新井先生の例題と形式は全く同じであることは、ちょっと検証していただいたらお分かりだと思う(間違ってなければだけど)。

2019021223あきとも例題が間違っていたので、書換えた。中央アジア→東南アジア

2019011525ザルやボウル洗いむら

鍋なんかもだけど、大きめの物に多かった。洗って拭いてしまったものに、洗い取れていないものがひっついていることが結構あった。89で命を終えた父のことである。晩年は、まあ、一人暮らしであった。我々家族がそばにいたが、一応、一人暮らし。飯を作っているんだか、配食の弁当なのか、食って食器を洗って、何かちょっと付いている。週末にみんなで行って夕食の時など、台所に入ると、手に取った調理器具に乾いた何かが付いている。ごしごし洗っているようだが、衰えたかと思ったものだ。注意せず、黙って洗い直したものだ。
で、今、ときどき、ザルやボウルに洗いむらがある。鍋にあったりもする。大きな器に何か乾いたものが付いている。洗ったのは私。ほかの誰でもない。それなりにまんべんなく調理器具や食器は洗う。お湯を流しつつ洗う。でも、洗いむらがある。
衰えたか。目かな。手の感触かな。器の表面に関する位置の把握の脳機能かな。

2019011624ある割り算
暇だった息子と割り算をした。八桁の電卓だと全部の桁を表示できない。息子は割る数と割られる数を何桁ずつか減らして計算した。わたしは10の累乗の形にして、かつ、一桁だけにしてざっと計算した。まあ、きっちりした値が欲しかったわけでなく、極く大ざっぱな値が知りたかっただけだから、これでも良い。
537億5千万÷1973万を計算した。
あきともがやった概算。
(5*10^10)/(2*10^7)=2.5*10^3=2500
537億5千万÷1973万をちゃんとやったら2724.2777496≒2724
で、この割り算は何かというと、「勤労統計」の不適切調査による過少支給総額÷対象者総数です。2004年からのことだから、14-5年分でしょうか。
一人当たり2700くらいが支払い不足だったということ。これは平均だから、たぶん、万を超える不足の方もいれば、百円に満たない方もいるかもしれない。そういう平均2700円を2千万弱の方々に配るって言っている。
たぶん、あれこれの経費の方が高くつくでしょうね。2019年の予算組み換えの経費。住所がわからん1千万人の探索の経費。それぞれの不足金額を確定する経費。それぞれに案内を出し、送金する経費。バンバン来る問い合わせに答える体制を作る経費。
2700円というのは、たぶん、それぞれの支給額に対してかなり小さい値かと想像する。それを浮かそうと算段した結果、バレて、浮かした以上の出費だ。これ、全部税金ね。担当大臣は一応あやまって見せたあと、「組織的な隠蔽ではないと思う」って、組織的な隠蔽以外の何かであったら、へそでお茶を沸かせてしんぜようってかあ。

ここは、ひとつ、土下座して、「一人頭平均2700円という少額に過ぎないので、全員に返すってのがものすごく経費がかかり、税金の無駄なので、返さず、そのまとまったお金を労働問題(具体案が思い浮かばない)に使います。閣僚(歴代担当大臣・その任命者)をはじめ、関係者は責任を取って、自らの給料から応分の返済をします。」ってのが良くないかい?

2019011725夢想の電卓

電子卓上計算機は、1963年から存在したようですが、当時は16kgの重量があった。
今、電卓というと、手のひらサイズだ。この大きさの電卓が出て来たのは、「答え一発。カシオミニ」で、1972年8月とある。札幌オリンピックが開催された年だ。2月のオリンピックの時、わたしは高校一年生。
で、「夢想」の電卓は、その6年前にすでに私の中では想像されていた。
計算(筆算)が遅くてやりたくないわたしは、教室の右側の後ろの席で、ぼうっと、あったら良い「カンニング用」計算機を設計していた。それは、手のひらより少し小さくなければならなかった。もちろん、試験中に隠せるように。そして、0から9までの数字が配列されている。三つずつ並んでいて、0はちょっと下にあったような気がする。右横には+-×÷の記号と、=がある。それらのボタンの上には数字が出る窓があり、たぶん、八桁くらい表示できる。ボタンの配置や数字の窓の位置や全体の大きさや薄さはまさに今の電卓。ただし、液晶ではなかったし、ルートは無かったし、メモリもついていなかった。クリヤボタンに思いは至らなかったな。スイッチくらいは付いていたような気がするが。まあ、小学校4年生の知識では、ルートは無理だし、メモリは実際に使ってみなければ必要性に気が付かないだろうし、クリヤボタンもそんな感じだろうしで、今の電卓とイコールではない。しかし、ほぼ夢想通りの電卓が世に出てきた。夢想の6年後にね。欲しい物は人類共通だね。

2019011824目立たない補聴器

「耳穴式」って言うんでしょうか。肌色で、2cm位しかない奴。両耳につけるのが推奨されている。
これって、高い奴だと片耳50万円くらいしたりするようだ。最近はデジタル式のが出てきているようで、周波数帯域別に増幅度をいかようにも変えられるようで、それぞれの方の必要に応じた調整ができる。
で、この小さな補聴器は、外からはわかりにくい。普段接している家族なんかだと、ちょっと覗きこんだりして、いま補聴器をしているのかしていないのかを見たりするが、レジの店員さんだとわからなかったりする。
晩年の父は、そういう耳穴式の補聴器をしていたが、なかなかうまく機能しなかった。いくら調整しても、聞き取れないものは聞き取れない。耳が遠いというのは、音を感じることができるかできないかだけでなく、入ってきた音を的確に処理して言葉として理解できる形に脳で加工しなければならないわけだが、それがさび付いている。よって、補聴器がいくら頑張っても、なかなか言葉は通じない。
そういう父は、耳が遠いということに気が付かないレジの人に言われたことを良く聞き取れなかった。聞き取れなかったが、聞き返さず、お金を払う段になってそのことが問題だと発覚し、レジの人に文句を言っていた。耳が遠いんだからちゃんと言えって。いや、あんた。その目立たない耳穴式補聴器をしていて難聴だって誰もわからないよ。「わたしは耳が遠いので、ゆっくりはっきり言ってください」とみずからきちんと提示しなくちゃ、そりゃ、だれだってわからないってもんだよと言っても譲らなかったな。
自分に障害があるときは、みずからそれを提示して、袖振り合う人々と円滑な関係をきずきたいものです。

2019011924折りたたみテーブル

会議室にあるような折りたたみテーブルなんだけど、たたんでしまっているときは、たいてい上下向かい合わせに置かれている。たぶん、折りたたんだ金属の足が天板を傷つけないようにという配慮かと思う。
この考えは誰の目にも明白なように思えるが、しかし、間違っている。
折りたたみテーブルを設計して製造した人たちは、折りたたんだ足を下に、天板を上にして重ねていくようにと思っている。そのように設計したのだから。
どうなっているかと言うと、折りたたんだ金属の足が下に重なる天板に当たる部分にプラスチックのスペーサー(間に挟んで間隙を開けるもの)がほどこされている。それがあるから天板に傷はつかない。そして、想像するに、天板の上に折りたたんだ足があれば、素直におさまっているものを、天板同士なら比較的に問題ないかもしれないが(硬い何かが挟まったら傷はつくだろうが)、足同士が向い合せに重ねられて重みがかかると「グジグジ」と強い力が足にかかって、何かと不都合な力がかかって、壊れる原因になるのではないかと思う。取り出すときに引っかかって嫌な力がかかる場合も多いしね。だって、机一台が10kg以上あって重たいんだもの(20kgを超えるものもあるらしい)。
このことは、たいていの素人(かつての私も含む)は知らない。天板の裏あたりに重ねてしまう方法が図入りで書いてあったりもするが、そんなものは誰も見ない。
かくして、公民館あたりの規則(内規だったりして、知っている人しか知らなかったりする)で、折りたたみテーブルは天板を合わせて置くようにと決めてあったりする。折りたたみテーブルはそのものの寿命より短い期間で壊れ始める。足の細い支柱が曲がっているのって、多いよね。あれ、普通に使って「普通」に重ねていれば、曲がる理由はない。
最近は、しまう時に積み上げるんじゃなく、足はそのままで天板だけ角度を90度くらい曲げて、壁に押し付けるように並べておく型のテーブルが多いですね。重たいテーブルを持つ必要がなく、車輪付きだから重いテーブルを持ち上げる必要もなくてうれしい。しかし、天板を曲げても結構な収納空間が必要で、お値段もかなりはるってのが難点だ。

2019012026サランラップの切り方

二十年以上前だったように記憶しているが、たしか、サランラップが切り方を変えてきた。以前は蓋で抑えて膜を下に張って切った。ラップの出口の下に付いている上向きの刃で切る。サランラップ以外も、アルミフォイルもクッキングシートもみんなそうであった。それが、サランラップは親指で抑える上の所に刃を付けて、親指で抑えて「上」に張って切るようにした。こっちの方が切りやすいってね。
切りやすさのことは、微妙だ。どちらの方式でもまあまあの感じで切れるのは変わりない。ちょっと失敗しただけでうまく行かないのはどちらの方式でも同じだ。上の方に刃がついている新しい方式の方が「多少」失敗しにくいかもしれないということはあるかもしれない。
サランラップに追従して、他のラップメーカーも同様に変更した。徐々に変更した。今ではアルミフォイルもクッキングシートも変更されている。家庭用のはね。
しかし、業務用のラップは、昔のままだったりする。特に切りにくいってこともないが、切る方向が違うので、いちいちどうだったかを意識しなければならない。
評価の仕方によっては10%くらいは改善するかもしれない程度のために、そして、その改善は完璧な作業を約束するものでもないのに作業の方向を反対にさせるってのは、かなり傲慢な態度だと思う。わたしはいまだに切るときに上に引っ張ろうか下に引っ張ろうか体が迷う。迷うゆえに緩んで失敗することが結構ある。
サランラップの馬鹿野郎! 余計なことしくさって。

2019012126仕事の時のメモ

若者は、前頭前野が健全だ。つまり、一時記憶をうまく扱える。あれとかこれとかそれとか、同時に進行していることを間違いなくおぼえていて処理できる。わたしのように、少し脳が古くなってくると、そういうのがおぼつかなくなる。
だから、若者は、メモを取らない。だって、おぼえているんだから。でも、同時進行が重なってきて、十個とか二十個になるとさすがに同時進行はできなくなってくる。あるいは、そこまで重ならなくとも、ある一連の仕事で20個くらい逐次やっていかなければならないことを一個くらい失念する。残業続きで忙しい時にはままあることかな。
しかし、それは、仕事ならば許されない。20励行しなければならないことのうち、19はできても1できなかったら「仕事ができない奴」と言われる。後からその仕事を軌道に戻すのはとてつもなく大変なのが普通なので、一個忘れるような奴には仕事は任せられないと判断される。
100の内1でも同様かもしれない(注1)。
そういうわけで、若者も、必ず記録をとらねばならない。取るべき記録がいつ発生するかわからないので、常に記録するものを携帯していなければならない。また、素早く記録しなければならないので、スマホに記録するなんて、かなり入力が速い部類でも用をなさないくらい遅い。つまり、電話を取る時はノートと筆記具を持っていなければならない。誰かと打ち合わせする時も同様。自分にかかわる何らかの事象が発生したら記録。記録しなくて良いのは社長の訓示くらいだ。それ以外は、すべて記録すべきである。
もちろん、きちんとした文章にする必要はない。単語だけ、矢印でそれを結ぶとか、独自の記号でやるとか、それはそれぞれ。そのノートは他人に見せるものではないから、自分だけがわかれば良い。ただし、時間を経たのちに自分で見た時にわかるようには書かねばならない。これが結構むずかしい。未来の自分はかなり他人。それは、過去の自分が書いたノートが今、かなり解読不能なのを見るとわかる。でも、まあ、自分が書いたものだ。時間をかけて思い出せば、だいたいは思い出せる(思い出せないものもある)。
常に携帯するのは必須だが、だからといってノートは小さくなければならないとは限らない。わたしは、作業ズボンの尻ポケットにA5のコクヨノートを突っ込んでいた時期があった。ある程度大きいので、図を書くにも良かったし、量も書けたから一覧性に富んでいた。今は、肩掛バッグにA6のノート。
もちろん、もっと小さいのでも良いし、常時携帯できるなら、A2のスケッチブックでも良い。
ノートの条件は、綴じられたものであること。ルーズリーフノートとか、破り目が付いているものは不可。理由は、書いた順番が重要なので、書いた順番の変更を前提としたルーズリーフノートは不可。また、一連の記録は欠損がないことが重要なので、切り離すことが前提のものは不可。一枚書いたら切り離すメモ用紙とか、ポストイットに書いてどっかに貼るなんて最悪である。全部がつづられていることが重要。
ノートの形は自由でも使い方は規定する。一日の仕事始めに新しいページの上方に年月日を書く。「年」も西暦四桁で全部書く。何年かたって見直さねばならない事態になった時(一生に一度もなければ良いが、万が一そんな事態になったら、それはとてつもない大事(おおごと)なので、すごく重要なこととなる)、そこに「年」がないと、かなり辛い。ノートの表紙に書いてあるかもしれないが、そんなものはそれだけ年月がたてば見えなくなっていたり破れてなかったりするものだ。
前の日の終わりのページがどれだけ余っていても、必ず次のページに書く(探しやすさのため。白いところがあるからと詰めて書いたら、昔のノートから該当個所を探す際に、発狂する)。本当は、「見開きの左上に書く」としたいところだ(横書きとして)。左側とまで規定すると、あっという間にノートが使い終わるので、それはそれでちょっと不便になるので、ここは妥協する。
項目を記入する時は、書き始める時分(じ・ふん)を行の始めに書き、相手先の氏名・会社名・部署・電話番号など、あとから相手を特定できる情報を書く。その上で、5W1Hを念頭に置きつつ、中身を書く。自分がしなければならないことが発生したら、それも書く。「何時まで」ってのが結構重要なことだが、その時点では自明なので、書かねばならないと思わないことが多いから注意。
こんなことをいちいち電話のたびに、打ち合わせのたびにやるのはめんどいので、メールでやり取りしたいなあと思うのはわかるが、電話や会って話す方が単位時間あたりの情報量を多くできるという面もあり、かつ、相手が間違いなく理解したかどうかを自分で確かめることもそれなりにできるので、メールだけのやり取りではまともな仕事にならないことが多い。まともな人間関係を構築した後に、定型的な仕事のやり取りにメールを使うのは効率的だし、記録も残り良い面もあるが、新しい仕事を始めるにはメールは効率が悪い場合が多い。
こういうノートたちを取っておいたら、あとから言った言わないの殴り合いが始まった時も、たいていは証拠として採用される。
また、このノートは、「書いた時のまま」が重要である。便利のために書き直したり、まとめたり、後から付加したりというのも良いが、オリジナルは必ずとっておくこと。オリジナル以外はオリジナルではない(オリジナル以外は「証拠」にはまず採用されない)。

[まとめ]
仕事の電話・打ち合わせなどでは必ずノートを取る。
ノートはいつも携帯していること。
一日の初めに新しいページの上方に年月日を書く。
相手が特定できるように書く。
他人に見せるものではないので、独自の省略記入法で良いが、未来の自分は結構他人なので、そのことに留意する。
永久保存。

なお、このノートはスケジュール帳ではない。仕事のログ(航海日誌)である。

注1:千のうち一個は微妙。万のうち一個なら、それが笑って済ますことができる程度のものならば、「できない奴」とまでは言われないかな。

注2:連番はつけない方がよいと思う。ノートの表紙には自分の名前と使い始めの年月日ね。連番の管理って、結構大変。単純に自然数の順番のはずが、とばしたり重複したりしてしまうものだ。気がつくのが何冊も後なら、全部修正するの?書き直したものはその点に関してオリジナル性が落ちるよ。書き直すときに間違ったりして。間違いに気がつかないでいて、前のを探した時に、混乱して発狂する場合もある。

2019012225ホワイトアウト時の対処法(車運転時)

ある程度でも見えていれば、コンビニなど安全な駐車場に身を寄せるとか、左に寄せて止まるとか可能だ。しかし、「多少見えてる」ってのはホワイトアウトではない。センターラインの見当はおろか、左側がどのようになっているのかもわからない。雪の壁なのか、歩道なのか、電柱があるのか、側溝なのか。また、道路に対して車が平行であるのかもわからない。ヘッドライトをつけてウィンカーを点滅させ、ただただ止まっているしかない。追突されないように祈りつつ、ちょっとでも見えるようになるのを待つ。自分が見えない時は、後ろから来る車も止まらざるを得ないはずというのを信じて。

2019012324絵本を「聞く」

「マツコの知らない世界」で、「読み聞かせしてもらっても大人は字を追ってしまって絵をちゃんと見ないが、こどもはお話は耳で聞いて絵はちゃんと見る。」と言っていた。
字幕でない映画をちゃんと見るのと同じか。いや、映画と違って、絵本の絵は動かないし、手を出したら次に行かないで待ってもらえる。こどもにとって、好きな絵本ならとことん楽しめるってことか。
真似してみよう。

2019012426出汁を取るとき・卵を割るとき

鍋からざるに受けて汁をボウルなどで受けるが、ぼうっとしていると、固形物に意識が行ってしまい、出汁を流しに流してしまいそうになる。生涯で四回くらい危なかった。「うぉっとぅ」と傾けた熱い鍋を勢いよく戻す。三滴くらいこぼれたかもしれない。
また、卵を割ってボウルに受けて、殻は三角コーナーに捨てる。この一連の動作が「捨てる」に意識が行ってしまい、卵の中身を三角コーナーの中に危うく捨てそうになったことが、生涯五回はある。三角コーナーの上で、割れた卵を勢いよく閉じて、ぎりぎり思いとどまったことよ。ちょっと白身がはみ出したかもしれない。
と、生涯でその手の失敗はかろうじて回避しているが、卵を割るとき、ヒビだけ入らずにぐしゃっと壊れて卵の中身が全部ぶちまかったことが、生涯二回ある。殻が薄すぎるんだよと毒づくが、後の祭り。

20119012525三択で合意だとさ

辺野古の新基地建設の賛否を問う県民投票の選択肢が、当初の賛否を問う二択から、「どちらでもない」を加えた三択で合意だってさ。
そもそも、自民党政府は辺野古への移転一択を強要している。それを受けて、デニー知事は「賛否」の県民投票をすると言っているのだ。
宜野湾、宮古島、沖縄、うるま、石垣の五市が不参加を言っていたわけだが、三択なら参加するってさ。不参加を言っていたのは自民党の人達で、要するに、自民党の人達が「どちらでもない」を選択肢に加えることで県民投票をすることに合意したわけだ。「辺野古しかないの一択」の方々が「賛成・反対・どちらでもない」の三択投票なら合意なんだ。
以前には「やむを得ない」「どちらとも言えない」と「賛成」「反対」の四択なら県民投票に参加してやってもいいみたいなごね方をしていたみたいだね。自民党の人達は。
沖縄以外に住む日本人の多くは、上記の三択とか四択を示されたら、三番目や四番目を選ぶ人が多いんでしょうかね。明確な意思表示をせず、そして、意思表示をしなことに責任を取ろうとしない人達だ。あとから「決めた人たちの責任でしょ、こんな事態になったのは」と、意思表示の回避での結果を受け入れることを拒むが、客観的に見て、意思表示をしなかったことの結果だ。
で、沖縄の人たちは、先の衆議院選挙での意思表示、および、県知事選挙での意思表示の在り方を見てみると、「人はきっちり意思表示をしなければならない立場にある」ことを良く理解している。三択でも四択でも五択でも、「反対」と言う選択肢が残されているなら、それを指し示すために県民投票に出向くでしょう。俺たちを甘く見るなってね。

2019012624猫に必要な水

一日に体重1kgあたり、60mL。(かかりつけの獣医師談)
体重4.5kg程度の我が家の雄猫たちのミカとハチは、それぞれ270mLを一日に飲むべきである。ということは、二匹で500mLのPETボトル1本は最低あけなければならないはずだ。でも、二日に一本かなあ。三日に一本かなあ。足りない。また膀胱に石がたまるよ、ハッちゃん。

2019012724納豆には添加物が入っていない

加工食品には、基本的に添加物が入っている。入れていないものには特別にその旨の記述がある。しかし、納豆には入っていない。特別な記述はないが、入っていない。納豆は、きわめてまれな加工食品と言える。ただし、添付の醤油などには普通に入っている。

2019012825避難所 電波で開錠

2019年1月28日夕刊8面 道新の記事より

大変な災害が起きた時の自治体の最新システムの話。職員が、パソコンからクラウドを通して情報発信したら、「V-Lowマルチメディア放送」が作動して、防災ラジオが放送され、屋外スピーカーから放送され、そして、現在は職員が出向いて開錠しなければならない避難所の鍵箱のカギが自動で解除されるというもの。一分一秒を争う災害時に、人の手を介さないで必要な処置をすることができるってことが売り。津波阻止の水門の閉鎖などにも応用できそうで、非常に優れたシステムだとのふれこみだ。元消防長官の方も、一秒の時間が大事なときに有効なこのシステムが広まって欲しいとのことだ。

システムが稼働していれば、災害時に有効だと思います。稼働していればね。

電気は大丈夫、通信も大丈夫、クラウドを担うどこかのサーバも大丈夫、送信所も機能して、その電波の受け手の機器たちも元気であればよろしいが、そういう状況を、大災害時に想定しちゃうの? 結構能天気のような気がする。3.11のときは、アナログで旗を掲げるってのが有効だったとかいう話もあったような気がする。いろいろな手立ての中の一つとしてやるのは良いかもしれないが、自立したシステム(注1)を幾種類も用意するってことかと思う。

注1:他のシステムを必要としないもの、つまり、電気もガスも水道も通信もが途絶えても、操作する人間がいなくても、自分の使命を全うできるシステムのことね。

20190129「コンドーム生産量4億→3千万個に修正」を見て

2019.01.29の朝日新聞の報道のようだ。
厚生労働省の統計で、2009年12月のコンドームの生産量が間違っていたから修正したと発表したらしい。9年前のデータだ。
間違っていたという「薬事工業生産動態統計」ってのを厚労省のサイトに見に行ったが、全体の金額などは載っているようだが、コンドームの生産量には行きつけなかった。
「コンドーム」などという、耳目を引きつける単語が出てきたからニュースになったのかはわからないが、わざわざ修正を公表する羽目になったのは、厚生労働省の一連の「統計操作」の問題のせいだと思う。
で、なんで私が取り上げたかと言うと、今回のコンドームの生産量の統計のことは、一連の問題とは統計として大きく意味が異なるからだ。
これまでの一連の賃金統計のことは、どんなに言い訳をしても、「間違い」ではなく「意図してそのように操作した統計操作」だ。サンプリングをちょっと「工夫」するとか、数値の扱いを知らないふりしてずらしてしまうとか、そういうこと。しかし、コンドームの生産量に関しては、足し算するときに一桁二桁間違っちゃっている数値を、あるいは単純に間違えて機械的に足し算しただけで、かつ、(ここからが特に問題なところだが)毎月の数値として異常値であることに気が付いていないことだ。完全に一桁多いのだから、今回の間違い報告の2009年12月の前数か月の数値をざっと眺めていれば、異常値であることはすぐに気が付く。もっとずっと長く何年も統計を取っているようだから、もっとずっと良くわかるはずである。何年も何年も、コンドームの月生産量の統計は、一桁完全に大きい異常値に気が付かなかったということだ。もっとも、毎月のコンドームの生産量が桁違いの大きな変動を持つものであればその限りではないが、コンドームの生産って、そういうものなんでしょうかねえ。ある月にガーッと作って、生産ラインをほかのものを作るのに変更して、コンドームの在庫の状況を見て、またガーッと作るっていう方式をオカモトとかがとっていれば、見落とすこともあろうかと思うが、今、統計見直しをさせられているということで、「あれっ」て感じで発表したというんだったら、変動の激しい月生産量ではなく、一桁大きい異常値であったから、一目見て気が付いたってことだと思う。だいたい、昔の元データは捨てたとか言っているようで、元から見直しすることもできないだろうし。
もし、そういう経緯なのだとしたら、統計を取った2009年12月当時も同じ状況だから、ひと目見ただけで異常値と気づくはずである。気づくはずなのに気が付かなかったというのは、「ひと目」見ることもしていなかったということを意味する。ということは、足し算の作業をしていた人は単なるキーパンチャーで、その作業を指示し、実質的に統計をする係りの人は、作業の結果をなんら確認していなかったことを意味する。つまり、完璧な怠慢。統計と言うものを完全になめているということだと思う。

厚生労働省は、統計と言うものをなめている省であると後ろ指を指します。

それでも、まともな言い訳をしてくれることを期待するする。それは、わたしがその厚生労働省を有する日本国の民だから・・・。はぁ。

2019013024「避妊具生産 実際の15倍」を見て

昨日の『20190129「コンドーム生産量4億→3千万個に修正」を見て』の件の北海道新聞の記事(2019.01.30朝刊2面)の見出しだ。経緯をもう少し詳しく書いている。昨日の私の見立てはおおむねその通りだったようだ。2009年の他の月は2906万~3757万個だったのに比べ、4億7538万個と突出していたということだ。メーカー一社が桁数を間違えて報告していてのことだとある。
匿名ブログでの指摘で発覚したとあるので、当時の担当者は前の月数か月の数字も眺めていないことが確定したと言って良いだろう。これはこれで問題だが、次にもっと大きな問題が記事に書いてある。
「ただ、1年分の数値をまとめた年報の個数には誤りはなく、年報作成時に当時の担当者がメーカーに確認して正しい数字を把握したのに、月報を訂正しなかった可能性が高いという。」とある。ということは、年報の個数だけを訂正することが可能な年報作成システムだったということだ。ありえないでしょ。データベースを組んでいなかったってこと? 毎月の月報はそれぞれの月独自に集計して、あとから手動で12か月分を集計して年報を作ったってこと? 原始時代のやり方じゃん。
普通は、一桁間違っていた12月分の一メーカーの値を訂正し、もちろん、その訂正はトレース可能なシステムであり、そうして順繰りに、と言っても自動で年報までを訂正するってことでしょう。
厚生労働省はまともに統計を扱うシステムも持っていないということがこの記事から確定した。
・・・・だれか、そうじゃないって言って。お願い。日本国のお役所でしょう。パソコン一台も買えないしょぼくれた事務所じゃないんだからさあ。

2019013125フロッピーディスクを知らない人たちがいるのに

「保存」を表すアイコンに3.5インチのフロッピーディスクが今も普通に使われている。マイクロソフトワードもそうだった。アドビアクロバットリーダーもそうだった。ワードパッドもそうだった。
わたしのパソコン方面の受講者は、「これなあに」と言った。
(年齢は私より15上だが、パソコンに触り始めて二年目かな)
じゃあ、何が良いかと言われても、誰もが納得するアイコンは思い浮かばない。でも、フロッピーディスクはないでしょうね。

2019020225サッカーアジアカップ2019

決勝戦でカタールに日本は三点取られて負けた。生きの良い、素晴らしいチームだった。突出した才能もあった。良いものを見せてもらった。
カタールのFIFAランクは93位で、日本は50位で、これだけを見ると日本はかなり格上のはずだが、現時点での実力は1対3のスコア通りかなと感じた。
カタールは260万余りの人口で、北海道の半分程度だ。カタール以外の生まれである選手が何人もいたようだが、しかし、方や1億人を超えた人口である。そして、男の子の多くはサッカー選手になるんだと言って練習に励んでいる。それでこの結果である。
カタールのサッカーはアジアチャンピオンに値する。すばらしい。

20190202消火器は重い

重いので、老人や子供など、力の弱い人には扱えない。若い男性でも、結構気合を入れて持ち運ぶことになる。規定により配置してある消火器は、火が出た時、いったい誰が扱えるのだろうか。

2019020326体重減少

お酒をやめたら、じわりじわりと体重が落ちてくる。飯は普通に食ってるし、特別運動を始めたわけでもない。
非常に面白くない。

(「お酒をやめた」は、完全禁酒を意味しない。アル中ではなさそうだから、飲むときはちゃんと飲むつもり)

2019020424室温の計測

室内に設置している温度計って、だいたいが目線の高さの壁にある。まあ、それもひとつでしょう。でも、問題なのは、足元の温度がどうであるかだ。足元が冷えているかあったかいかはすごく重要だ。そして、ちょっとはかっておきたいのは天井付近の空気の温度だ。
ちょっと風が出てくるタイプの石油ストーブをつけていても、天井は暑く、目線の高さはちょうど良く、足元は冷たいなんてことは良くある。
「送風機」を使うと、上と下の温度差は小さくなる。ほっとけば10度以上ある温度差を、なんとか5度くらいにしてくれる。
冬場は送風機の音がうるさいけど、我慢せざるを得ないのであった。
なお、普通の扇風機はちょこっと空気をかき混ぜるだけで、上下の温度差をそれなりに小さくする効果は小さい。

2019020524オストメイト用設備

教会の便所の設計を考えるとき、多機能トイレに、ふと、オストメイト(人工肛門を持つ人)用の洗い場があれば良いかもしれないと思った。新札幌の便所にそういうのがあったのが脳裏に浮かんだのかもしれない。それで、多機能トイレを少し広くとることしたのにともない、オストメイト用の設備は考えられますかと設計者に聞いた。
コンパクトタイプのものを提案してきた。
それを見たひとりから「それって、有用? 使えるの?」って言われちゃった。「いやあ、あったら良いかと思って。必要な人にとって中途半端な設備なのかそうでもないのかは知らない」ってね。
今、そういう状況の人、二人(ベテランだと思う)に聞いてみたら、家では昔からの便所でたりているって言われたそうだ。でも、そういう設備はあるところにはあるよなあ。
日本オストミー協会では、必要な設備のことが書いてある。うまく袋に入らなくてもれちゃったりとか、外出先で急を要したときにあったら良い設備のことだ。
汚物流し台・カウンター・ダブルフック・化粧鏡・汚物入れボックス・衣服と手荷物用フック・収納式着替え台がいるって書いてある。腹部の洗浄もするそうだ。本来なら、ちゃんと裸になってシャワーを浴びる設備が欲しいんだろうな。うんこ臭いんだから当然だ。いろんな道具を置いてあれこれ作業する台も必要だし、小物入れをかけておくフックも必要だし、装具を装着するときにそれを見るための鏡も必要だ。ちょっとどんなものかわからないのだが、着替え用の台もいるらしい。とりあえず、かなりの大ごとだということだけは理解した。
で、コンパクトタイプの設備は有用だろうか。自分がオストメイトになったとして想像してみた。そもそも、本来は裸になってシャワーを浴びなければならない事態なのだから、設備としては全然足りないが、しかし、コンパクトタイプのものであったとしても、それがなかったら、多機能トイレはその事態になった自分には意味のないものであろう。しかし、コンパクトタイプのものでもあれば、不便は不便でも、とりあえず、少しは何とかなりそうだ。一応、汚物の付いたものを洗う場所はある。鏡もあるだろうから、装具を付けるのも何とかなりそう。最初っから外出するのをやめるんじゃなく、使う予定はないけど、不測の事態になった時は、最悪を逃れられるかなと思い、コンパクトタイプの設備のある所にだったら出かけることにするかもしれないと思った。

2019020624メガネをいつも探す人

メガネが必要なくらいだから、結構目が悪いのかと言えば、それほどでもない。メガネがうざかったらはずしていられるんだから。わたしは寝るときと風呂のときとめがねを拭くとき以外ははずさない(はずしたら見えない)。

2019020725雷は侮ってはいけない-我が家の家訓2

雷様の電圧はすごいものがあるので、直撃を受けると、あるいは、近場に落ちると、保安器とかサージプロテクタとかいうものがそれなりにかまされていたとしても、そんなの気にしないで侵入してくる。スイッチが切ってあるなんて、簡単に無かったことにされちゃう。よって、コンピュータに繋がっている線(注1)は全部はずす。雷様が帰ったら、元に戻さねばならなくて手間だけど、はずす。これが我が家の家訓。
埼玉は狭山市堀兼にいた時、昼間に「ドカン!」ときて、その時はMac Plusのスカジーまわりがやられて、HDが使えなくなった。ほかはまったく大丈夫だったというのが不思議だが。それ以降、雷が感知されたら、即コンピュータの全コードを外す。はずす前に「切りの良いところでなくても即」作業中のを保存して、シャットダウンする。すごく長い時間だ。焦るぜ。プリンタを外すのを忘れないように。HDとかの外付け機器ももちろんはずす。電源コードを抜きまくる。たこ足だと、一発で抜けるから簡単。
で、問題なのは、電話のモデムと言うかターミナルアダプタと言うか、その時その時のシステムで違うのだが、そいつをはずすかはずさないかが問題となる。雷様が侵入してきたら壊れるのは同じ。しかし、その間電話は使えなくなる。かかってきてもわからない。ここんとこはいつも悩む。

注1:電気会社からの電気のコード・イーサのコード・プリンタケーブルなど。最近はWi-Fiなので、コンピュータのコードは一つ二つ減ったが、しかし、Wi-Fiの発信機に繋がっているコードははずさねばならないので、かえってめんどくさい。
テレビに繋がっているコードはほったらかしであったりするのは、私にとっての重要度の問題かと思う。

2019020825ヒートショック対策

heatって、熱いってことだから、heat shockって、「急に熱く(あるいは暑く)なって体調が急変すること」のように思えるが、英語話者の語感はどうなんでしょ。
一般的に、あったかい部屋から寒い脱衣所、風呂場に体をさらし、熱い湯船に入るという、環境温度の大きな「下上」による体調の変調のことを言うのかな。暖かい部屋から寒い便所っていうのも言うようだから、「下」だけでheat shockと言う場合もあり、英語としては、良くわからん。
で、温度差を小さくしましょうって話はたくさんあるけど、具体的に何度ってのがなかなかない。
太田 真人さんは書く。「多くの実験の結果」下記(参照1)が結論だ。三度以内が望ましい。せいぜい五度以内だってさ。これは水平の温度差なんだけど、結構難しい。そもそも上下の温度差の推奨が三度以内(参照1)だから、ここから現実的でない。
とはいうものの、何とかせねばならないので、対策してる。つまり、使っている部屋の戸を全部開け放つ。廊下も階段も風呂場も便所も。その上で、送風機を天井に向けてかける。これで、かなり温度差は減少する。しかし、推奨値には程遠い。
多くは、暖房している居間の扉はすべて閉じて暖気が廊下や使っていない部屋や風呂場に逃げないようにする。そして、わざわざ便所や風呂場を電熱器で温める。脱衣所にも電気ストーブを持ち出したりする。それより、開け放った方が簡単なような気がする。ヒートショック対策としては。

参照1
https://allabout.co.jp/gm/gc/28209/3/
提供:セキスイハイム
執筆者:太田 真人
暖房居室と非暖房居室 【5℃以内】
廊下とトイレ 【3℃以内】
※全ての場所でもっとも厳しい【3℃以内】を目指す

快適でリラックスできる温度差は...

 床と床から1.2mの温度差【2℃以内】
 床と天井の温度差【3℃以内】

2019020925色彩の商標登録

ある企業とか商品とかにある特別の色を商標登録できるらしい。
「実際に使用されている実績をしっかり証明する必要がある」と特許庁商標課はうるさいことを言って、なかなか登録はかなわないらしいが、でも、可能であるという。
アメリカでは「ティファニーブルー」が、欧州では「ルブタン」の赤い靴底が認められているらしい。
で、色っていうものは、幅がある。赤青黄色って言っちゃったら、それぞれ幅が広すぎる。灰色なんかだと、完全な黒と白以外の無彩色は全て、かつ、その近傍の有彩色が少し混ざった色のことを言う。「少し」ってどれくらいまでを言うかは知らない。結構広い。
というわけで、たとえば、「ティファニーブルー」はどのくらいの範囲を言うのだろう。定義して商標を認めているのだろうか。
HTMLコードだと#81D8D0だって。ウィキペディアに書いてあった。厳しくこれだけなんですかねえ。結構再現は難しいと思うけど。
と言うのは、HTMLコードは最初の二桁を赤、次の二桁を緑、残りの二桁を青のそれぞれの濃さを表す。一桁は16進法なので、16進二桁で256通り。つまり、赤・緑・青の光の三原色をそれぞれ無しから目一杯までを256に刻んでいる。それが、三原色の三つの色について256ずつ。掛け合わせると、16777216通り。千六百七十七万七千二百十六通りになる。24ビットカラーね。ここまで厳密に一つ一つの色を目で見て区別することなんてできないし、また、間違っても再現できない。
ということは、近傍かなりの範囲で「その色」ってことになる。
そんなの、駄目じゃん。商標登録できるっていう決まりは。色を独占できるっていう決まりは、その企業以外の人たちにとって、色の自由を奪うもので、色の独占を赦しちゃいけないものだと思う。どんどん振り分けていったら、幅があるから簡単に枯渇するしね。
それに、思うに、ティファニーブルーなんて普通のベビーブルーだし、ルブタンの赤なんて、典型的な「赤」としか言いようがない赤だ。靴の裏に色を塗ったのは個性だろうけど、真似されて怒るのは大人げない。赤じゃなかったら良いのか。ちょっと違った赤だったらいいのか。
(Pantone)18 1663TPがルブランの靴の赤らしい。どの程度厳密にそれなんだろね。もし厳密に運用したとしたら、ティファニーもルブランも、色を再現できなくて、作った製品の色を、商標登録した色だって主張することはできないんじゃないの。

2019021024温度計を選ぶ時

同じものが数多く置いてある店が良い。その中から、平均的な値を示しているものを選ぶ。そうすれば、真の値に近い値を示すものを選ぶ可能性が高い。
そういうわけで、ホーマックで温度計を物色する時にはいくつもいくつもじっくり覗いて温度を確認するのでした。
なお、熱電対の温度計は、電池が入っていなかったり、表示が見えなかったりで、良いものを選ぶことができない。

2019021125首から下げる名札

くるくるねじれて裏が表に、表が裏になるから両面に名前を書いておくと良い。この時、上下に印刷するときは天地を気にして、頭合わせか足合わせか。この場合は180度ひっくり返して印刷せねばならない。その点、左右に印刷する場合は並べておくだけで良い。紙は、少し厚めが良い。60kgくらいなら良いかな。安くて薄いコピー用紙だとケースに入れにくい(不器用な私の場合) 。

20190212最近サボっていた1m訓練

117cm(第1試行)だった。駄目じゃん。
二回を目で見て練習して、今もう一度やったら98cm(第4試行)だった。この一行を書いて、もう一度やったらまた98cm(第5試行)だった。すぐやりゃあ感覚はかなり再現性がある。
あと2cmと考えて、でも、前と比べて明らかに長いと絶対10cm以上狂っちゃうと思って、同じ感覚でやったら98cm(第6試行)だった。
「長さの感覚における再現性の精度と試行間隔」ってテーマは実験心理学的な課題かな。ちょっと興味あるけど、自らを被験者とする実験計画は立案が難しい。他者を被験者とするとしても、まじめに付き合ってもらえなさそうで、やっぱり実験は難しそう。

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