いろいろ2

2019021325IRと言えば

UV:ultraviolet(紫外線)と組みになってIR:Infra Red(赤外線)に決まっていると思っていたが、ネットで検索すると、IR:Investor Relations(投資家向け企業情報)しかでてこない。
最近ではIR:Integrated Resort(統合型リゾート)と言うキナ臭いものが新聞紙面に頻出する。
IR:information retrieval(情報検索)ってのもあるようで、笑える。

2019021424原発のデブリを5cm持ち上げた

そろそろ9年たとうとしている時に、やっと触って持ち上げることができた。それまでは、撮影するのも非常に苦労していた。強い放射線があるので、機器を作動し続けさせることができないのだ。
今回、ちょっと持ち上げてみたのは、5cm程度らしい。まだハイハイもできない赤ちゃんに負けるかもしれない。それなのに、東電の広報は、「動かすことができたことで、デブリ取り出しが成り立つ証明になった。」とまで踏み込んでいる。そりゃ、初めて触って動かせたのは認めるが、デブリは200トンから300トン(注1)が、それぞれの原発に存在しているようだ。動かしてみたのは何グラム? たとえてみれば、雪まつりの巨大雪像がデブリ全体だとすると、ちょっと触って5cm持ち上げて、そして、その場に落としたデブリは、小さなビスケットひとつ程度なんじゃないの? 超強力な放射線を出し続けている超強力な放射性物質のデブリを、トン単位で取り出す端緒についたみたいな言い方は、いかがなものでしょう。
そして、この程度のことが、大成果だと大ニュースになっているってことは、福島第一原発群を何とかする事業がとてつもなく難事業で、廃炉作業が30年から40年かかるって言っていることは、すでに9年がたとうとしていることを踏まえると、ほぼ何の根拠もなく、「そうだったらいいなあ」程度の希望を述べているに過ぎないということを意味している。実際は、何百年もかかるんじゃないの? そのくらい時間がたったら、もう少しやわな放射線の強さになっているのかな。
で、取り出した超強力な放射性物質のデブリ(コンクリートやら核燃料やら何やかにやがごっちゃに溶けて固まったもの)を、どこに置くつもりなんだろう。まさか、日本海溝あたりに沈めようって魂胆じゃないよね。結局、石棺を作ってそこに置いて管理しなければならないような気がする。それぐらいだったら、わざわざ引っ掻き回して無理やり取り出そうとせず、粛々と今の原発全体を石棺で覆ったらよろしかろうと思うのだが、どうなんでしょうね。汚染水の方は、「あんだあざこんとろうる」だそうだから、安倍さんが責任をもって対処してくれるんで、心配ないけどさ。

注1:IRIDシンポジウム2017 in いわき「燃料デブリ取り出しに挑む」を参照。
https://www.irid-symposium.jp/common/img/irid_symposium2017_01.pdf

2019021524ダウンロードの定義は?

ダウンロードの違法化が話題になって久しい。
しかし、そもそもダウンロードって何を指しているんだろう。
違法だとかなんとかっていう話題の時は、どうも、データを不揮発性のメモリ(HDとかSSDとかUSBチップとかフロッピーとかいろいろ)に記録することを言うらしい。画面上で見るだけならその際はダウンロードとは言わないのかな? でも、画面上に出ているということは、データはこっちに来ているわけで、少なくとも揮発性のメモリ上にはその時点で存在している。ずっとそのまま揮発させないように電源を入れっぱなしにしていても、ダウンロードって言わないのかなあ。
ダウンロードとは、データをサーバーから自分のコンピュータに転送することって言う見解もあるようだ。これ、賛成。つまり、データをこっちのコンピュータに来させるとダウンロードってこと。どこにどう保存しているかは関係ないよね。
まあ、実際問題としては、何らかの不揮発性のメモリに入れておかなくちゃ扱いにくい事はその通りだが、画面に表示されたり音が出てきた時点でダウンロード完了だ。これ、規制するの? ひどくないか? 「違法と知って」っていうけど、「ダウンロード」しなくちゃそれが違法物件かそうでないかはまったくわからんしょ。
ダウンロードしたデータを違法に「使用した」場合を違法とするべきかなと思うが、どうなんですか? 自分のところのHDにファイルの断片が混じっていて、たとえばキャッシュはいくらでもあるよね。それだけのことなのに、「違法ダウンロードだあ!」と言い募ることができるような法律の文言らしい。こんなふうに、自分の知らない破片はいくらでもHDには存在していると思うが、HDを押収されてその断片を違法の証拠とされても、どうせって言うのさ。

20190216ホンダフィットのピーは僕の味方

エンジンを切って、ホンダの初代フィットの鍵穴に鍵を付けたままにしておくと、ドアを開けるとピーって警告してくれる。いつも助かってます。

2019021725最後の発言に注意

会議など、何らかのことを決める話し合いの場で、方向性の違う話が出ると思うが、うかうかしていると、最後に発言した話で結論となっちゃうことが良くある。
決めるべきことに関して、あれこれいろいろな人が話す場合、最初の方の発言に関して、後の方の発言できっちり落とし前をつけているんならそれはそれで最後の発言が採用されて良いのだが、たいていの場合は、前の発言の落とし前はついていないで、なんら解決していないのに、最後の発言の通りに決まってしまうことがある。
「やっぱり、これこれこうだと思う」って感じでトリを取った奴の勝になったりするってこと。「やっぱり」には以前の発言の中身に対して、何の根拠もなく自分の意向を押し出しているだけだということを、強く意識していなければ、空気は勝手に流れ去っていくんだ。最後の発言を狙っている訳知り顔の奴には要注意。何も知らないうぶな女を演じている曲者が蔓延しているんだ。論理で示さず、「私は宇宙とつながっている女よ」との押し出しのみで勝負してくる。普通に当たり前のことを言っているだけですよと言う気分を醸しつつね。
というわけで、わたしは空気を読めない蒸し返し野郎となる。「さっきのあれはどうなっているんだ。何も解決してないのに(考慮してないのに)そんなふうに決めるのはおかしい」ってね。知らないふりはさせないのだ。

2019021824頭からの熱放散

以外と、頭から熱がたくさん逃げていく。帽子をかぶるとかなり防げる。帽子をかぶらないと、体温を奪われる。
髪の毛を3mmにしてからの実感。髪の毛は体温の維持に役立っている。人間は、髪の毛以外の体毛がほとんどないのは生存にかなり不利かなと思う。
服を着るようになってから体毛が衰退したのか、体毛が衰退して裸でいた時代が長かったのか。裸でいたのならば、良く生き延びてが今があると思う。

2019021924メモリ二倍の法則

パソコンを新品で買う時、とりあえず、メモリを標準の二倍積むと、そのパソコンの寿命は標準よりかなり伸びる。延びる幅は、新たに導入したアプリケーションソフトの問題も大きいが、使用者のパソコンに関する知識に依存する部分がより大きい。
メモリが買った当時の標準より潤沢だと、それなりの知識があれば古いパソコンをそれなりに使い続けることができる。しかし、メモリが買った当時の標準程度であると、かなりの知識があっても時代に即した使用をそれなりにすることが著しく難しくなる。
また、今となっては、CPUパワーは、多少貧弱でもほとんど問題なく使える。CPUパワー命って感じのアプリケーションソフトを使うんじゃなかったらね。つまり、ネットをたらたら使ったり、ワープロや表計算やプレゼンを普通くらいの感じで使う分にはってことね。そういう用途では、すでに完全にオーバーパワーなのが今のパソコンでしょうか。

2019022026文部科学省の「小学校学習指導要領解説」は著しく安価だ

たとえば、「小学校学習指導要領平成29年告示)解説 算数編 平成29年7月」は832gあるA4判だが、224円だ。零が一つ抜けているのかと不安になり、レジで聞いたら二百二十四円であると言ったので買った。

2019022126宅配や小包に貼る紙の印字が小さい

手元にある佐川のは宛名でさえ2mm*2mmだぜ。郵便局の小包?の送り状は宛名が2.5mm*2.5mmと少し大きいが、とても小さいことには変わりない。
この人手不足のご時世に、配送業務を目がシャッキリしている若者にしかできない仕事にしている。受け取る老人は自分宛か確認さえできない。
高性能な印字機を使っているからって、これはないんじゃないの?
昔、コンピュータが日本に入ってきた当時、カタカナしか打てなかったんだけど、その印字が小さいって郵政省?があれこれ言ったとか、そこのところを貧弱なコンピュータシステムに免じて何とか了承してもらったとかと聞いたことがあったように思うが。
「みんな! こんな小さい字にして、どうかしちゃったの? 大丈夫?」

20190222「育もう 新聞のある学校図書館で」って言うなら

今日の道新夕刊の4面に、日本新聞協会の「広告」がある。子供たちの学力をつけるには新聞を読むことが良いと調査結果が出ているとか、政府は公立学校の図書館に新聞を配備するための地方交付税をこの前倍増したとか、新聞購読のために倍増されたにもかかわらず、使い道を委ねられている地方自治体は新聞購読をあまりせず、小中学校図書館で新聞が読めるのは四割程度でしかないとあれこれ愚痴ってる。
地域の小中学校に加えること高校も、公立私立を問わず、毎日新聞配達すればよいと思うんだけど、どうでしょう。もちろん、タダで。学校(地方自治体)が新聞店にお金を払って新聞を購入するってのが筋として当然でしょうが、しかし、未来の顧客を育てるという意味で、広告費としては一番効率が良いかと思うんですが、いかがでしょう。ただでさえ紙媒体から離れがちな若い世代を引き留めようと思うなら、小中高校に新聞配達する程度の広告費はとっても小さいと思うんだけど、どうでしょう。
地方自治体の意識が低いってにおわせてみる暇があったら、サッサと行動に移した方が良い。新聞離れは現在格段に進んでいるのは周知の事実なんだから。だって、新聞は売れてないんでしょ。

2019022325木を植えるということ

ホーマックなどで、園芸用に木を売っている。背丈くらいの高さで、人差し指くらいの太さだったりする。父は宅地を買って家を建て、庭と言うか畑と言うか、敷地にそんな木を買ってきて植えた。
林檎・梨・栗・李(すもも)は裏の方。道路側には針葉樹を植えた。当初は、実がなって食べたとか、実が虫にやられちゃったとか、我々子供たちの興味の対象であった。そのうちに、李や梨や林檎はまともな実をつけないようになってきた。しかし、枝ははり、幹は太くなり、背丈は伸びた。栗なぞは一抱えある幹に育って、家庭菜園に広い影を作った。道路側の針葉樹は二階の屋根と高さを競うようになり、電線を取り込み始めた。父は人を雇い、栗を切り、針葉樹を抜いた。栗は、重機が入れられなかったので、切り株の下には根が張ったままだ。たぶん、大きく広がっていた枝と同じだけの根が張っているはずだ。
広大な敷地を所有するお金持ち以外は、所有する土地に木を植えてはいけない。ほっておくと、育って家をも凌駕する。
他所から飛んできたポプラの種は、健気に芽を出し、一夏過ぎると鉛筆の芯くらいの太さに育ち、大きな木と同じ大きさの葉を数枚付ける。かわいい。しかし、北大のポプラ並木のあの巨木に育ちうる遺伝子を持っているのだ。見つけたらきっちり抜くこと。

20190224絵文字とかピクトグラムとかアイコンとかには字を添えよ

いくつもいくつもたくさん種類がある。きちんと区別がつくまで至らなくとも、それなりに意図がわかればまだ良いが、何だかわからんものも多数ある。まずは、文字で内容を知らせろ。
マックが出てきたとき、アイコンが一般的になった。しかし、それには、必ず字が添えてあった。ゴミ箱にでさえ文字が添えてある。しかし、最近、画面が小さい端末が蔓延し、字を添えることを省略して表示することが増えた。そして、なおかつ、新しいアイコンが日々生産されている。そして、導入される。
ピクトもそう。ピクトはそもそも最初から字を省略していることが多い。見りゃすぐ理解するだろうと掲げる人たちは考えているようだ。わかりません。今では種類が多すぎる。日々新しいのが出てくるのはピクトも同じ。しかも、新規性を狙ってか、洒落た変形を施してくる。
作っている人にとっては、便所便所した便所ピクトでなく、妖精が飛んでいるような変形を施した便所ピクトで洒落て見せたいんでしょうが、もとからある便所ピクトの雰囲気から離れすぎて、便所ピクトじゃないみたいで便所を見落とす。
そうかと思ったら、旧態依然としたアイコンが使われ続けていて、今では知らない人も多い「フロッピーディスク」のアイコンが「保存」のしるしだったりする。馬鹿か。
文明人は文字を使用し、意味を伝える。絵の方が瞬間的にわかりやすいとか慣れ親しんでいるものだと文字は不要だとかと言うことはあるが、誰でも最初と言うものがあるし、これだけ数があったら良く使うもの良く知っているもの以外は何だかわからない。同じ意味でも違う図柄を採用している場合も多く、身勝手なピクトやアイコンも多い。

文明人は字で意味を表現する。その訓練は就学以来ずっとなされる。字だけではいちいち読み取らねばならないので、瞬時にわかる絵が採用されるのはよろしいのですが、字も併用すべきである。また、一般化したものに変形を加えるのは愚行である。ひとりよがりな行為と言えよう。そして、歴史の遺物を使い続けるのも現状に合わない。また、字を添えていなければ、ピクトやアイコンの「誤読」を防ぐことはできない。字を伴う言葉は長い歴史の中で意味の共通理解がそれなりに培われてきているが、ピクトやアイコンはまともな辞書もなく、人々は勝手に意味をくみ取っているので、掲げた人とはかなり違う意味に取っているかもしれない。そして、違う意味に取っていても、字が添えていなければ、検証する機会もない。
ちなみに、角丸の縦長赤い長方形の板に、太い十字とハートのマークが白のものは、わたしは初見の時、スイスあたりの人気かばんメーカーのロゴマークかと思った。それは、黒いバックの柄に紐でつるされていた。持っていた太っちょのねえちゃんは、道の角を回ったところの花壇にちょっと苦しそうに座っていたけど、どうしたのかとちょっと振り返った時、目を合わせようという感じでもなかったので、通り過ぎた。あとであのマークは「ヘルプマーク」であり、心臓に問題を抱えているとか、見た目ではわからない助けを必要とする人が助けを求めるために付けるマークだと知って、声をかけるべきだったかと思った。マークだけでなく、「助けて。体調不良です」とか書いてあれば、何だと思って覗き込んで、意味を理解したかもしれないのに、プレートには字が書いていなかった。
交通標識の絵文字は、意味を覚えなければ試験に通らない。そして、絵文字の絵柄の変更は基本的にない。それに、種類もそれほど多くはない。一方、アイコンやピクトの種類は日々増え続け、良く変更され、同じ意味のものにも多数の違う絵柄のものがあったりする。見りゃわかるだろとか、知らないのは現代に生きる人間ではないとか、掲示する方の都合を押し付けるのはやめてほしい。
まずは、字を添えよう。

20190225反語表現は、幼児には通じない

反語表現とは、いっぺん否定して見せて、(いや、そうではない)ってのを強調するものだ。最後に言い切って終りにして、強調表現をより有効に作用させようとしたりする。昔からある強調表現の手法である。古文とかで習ったような気がする。英語でも同様の反語的表現があり、考えることは洋の東西を問わない。
しかし、このようなちょっとひねった言い回しは、言語的に未成熟な幼児には通用しない。

ご飯をぐちゃぐちゃにしていいの? いいの!
授業中にたばこを吸ってて良いものだろうか? ウッセー!
国の基幹統計の調査対象を恣意的に変えて良いものだろうか? 別にぃ。

新聞の社説でもコラムでも何でも、反語表現を使わず、普通に言い切って下さい。どちらに取ってもそれぞれありだと思われる疑問形は、反語表現とは受け取られないだろう。幼児には。

「違います!」 「駄目です!」「辞めなさい!」

20190226私と言う存在は、物質を介した情報なのかなあ

原子って、同じ原子番号で同じ質量数だったら、どれも区別できない同じものだってのがそうであるならばって話なんだけど、今現在私を構成している原子と同じ種類の原子を同じ数だけ用意することは理論的に可能でしょう。そして、今現在の私の原子の配置やつながりの完全な情報がわかれば、その情報を他の場所に送って、そこにある同じ種類の同じ数の原子をその情報で構成すれば、それは今現在の私そのもの。物質そのものには私の存在は依存していないともいえる。物質がなければ私は構成できないが、別の物質で代替可能なのね。
もっとも、今でも私を構成する物質は日々入れ替わっているわけで、時間的な経緯が多少加わるが、物質そのものに依存しない存在であることにはそれほど変わりがないともいえる。
このグダグダの与太話は、もちろん、別の場所で情報のみで私を再構成するSF的な技術を持ち合わせているわけではないので、絵空事ではあるが、神ならできるだろう。
というわけで、神は「体の復活」を約束してくれたけど、理論的には嘘ではないよね。できることなら、若くて元気なときの情報でやってほしいものだとは思うが、それはそれ。高望みすると神様は再構成してくれないかもしれない・・・・。もうちょっと、体と頭を引き締めておこうっと。

2019022724左利き率

世は右利き全盛だが、文化的に右利きは強制される。箸は右手。筆は右手。鋏(はさみ)も右手。片刃の包丁も右手。
鋏とか片刃の包丁には左利き用もないわけではないが、そういうのは特別に用意しなければ無いわけで、やっぱり、箸は右手とか字は右手と同様に強制される。
文化的な要請がなく、かつ、どちらでも同様に扱えるものは、本来の利き手で扱うことになると思う。
それで、今は、スマホだ。帰宅の列車内のスマホ率は相当高いので調査対象にうってつけ。
今日は、スマホ(めずらしく、一人は私と同様ガラケーだった)14人中、左手使いは2人だった。
超高等技術を駆使する一部の「女子(注1)」は両手使いなので、本来どっち利きなのかを判定するには注意が必要ではある。良く観察すると、利き手で文字をフリックし、反対の手でその他の操作をすると言うのが一般的だから、たいていわかる。
今日は左利き率七分の一だったが、平均的だ。概ね10%-30%の範囲に収まり、20%を超えることは少ない。

注1:ここ二、三年のケータイ右左観察において、男子が超高等技術を駆使するのを見たことはない。女子ではかなりの確率でいる。どうだろ、10%くらいかな。こっちはちゃんと数えていないけど。
なお、ここで「女子」とは、中高生以上おばさん未満のことを言っている。ちなみに、おばさんで超高等技術を駆使しているのは見たことがない。かなり塔がたっているけど、「わたしは若いのよ。若いんです!」のちょっと無理したファッションの方で超高等技術を駆使していた人は見たことがある。

注2:私自身は、ガラケーは右手で扱えない。左手で持って左で打つ。箸は右手。字は右手。鋏も包丁も右で問題ない。しかし、字は左手でも戯れて書けるし、箸は両手に持ってあれこれすることもできないわけではない。たぶん、本来少し左利きかな。コンピュータのマウスも左で扱えるし。

20190228額縁効果

写真の指南書なんかにも取り上げられることの多い「額縁効果」は、便利な技法だ。とりあえず、何かで囲っておけば、中身がたいしたものでなくとも、ちょっと気になる存在になる。窓枠を使うのは良く行われる。簡単。凱旋門みたいな門の中に人や物を配して撮ると、単なる記念写真でも、何やら芸術味を帯びる。
写真に撮るときに、あるいは、絵の中に囲いを作るとそれなりに簡単に意味深なものになるということのほかに、写真なり絵なりを額に入れるというのも普通に行われている。これこそ、本来の額縁効果。写真や絵が高級感を増す。だから、「ちゃんと」飾るときは額に入れるのが普通だ。特に、絵は。ビラビラのレリーフを施した幅広の額に入っていたりする。ロココ調って奴かなあ。金持ちの家にありそう。
まあ、あんまりビラビラだと、絵や写真そのものがどっかに行ってしまうってことからか、飾りのない、ただの木枠ってのもあるが、でも、額縁は「ちゃんと」飾るには必須という世間の常識がある。
額の内側の面全部に絵なり写真なりを入れるのは普通だが、額の内側にマットを張り、中央に絵画なり写真なりを配するって手法もある。こっちの方が、何か、高級感あるね。特に、絵や写真が小さい場合は、「これは小さいけど、取るに足らないものではなく、注目に値するものです」って感じになる。
どうしてこういう風に感じるのかなあって考えると、たぶん、ヒトの脳みその認識の構造が、額縁状のものに囲われたものに反応するように出来ているんだと思う。実験していないし、文献にもあたっていないので何なんだが、私の感じでは、長方形に反応しているような気がする。それも、斜めではなく、水平線に平行な長方形ね。縦長より横長の方がより良いような気もするけど、縦長でも結構な額縁効果はあるような気がする。でも、斜めは、たぶん、駄目かな。違和感がある。楕円(軸が水平線に平行)とか円は、長方形より少し弱いような気がするが、ちょっとは額縁効果はあると思う。正方形は、長方形より少し弱いかなあ。形そのものは強いけどね。強さは長方形の安定から外れた違和感にあるのかな? ま、所詮、わたしの感覚でしかない。

2019030124写真や絵を額に入れるな

写真は見えるのと写るのと少しズレがあるが、絵を書く場所はきっちり決まっている。つまり、キャンバスなり紙の大きさなりはそこにある物そのもので、描いている途中で伸び縮みするものではない。写真も、像が写るところは変わらない(デジタルカメラは撮像素子)。
ということは、写真家も絵描きも、その長方形(たいてい長方形だよね)に像をレイアウトする。きっちりレイアウトする。彼らの美的感覚に忠実にレイアウトする。そうすると、ぎりぎり端っこまでが像であり絵である。たぶん、どなたにもそれは認めてもらえると思う。製作者はそのように画像を写し、筆を運ぶ。たとえ端っこには何も描かれていなかったとしても、その空白を含めてバランスが取られている。
ということは、端っこをたとえ1mmだとしても隠してはいけない。作者の意図と異なる画像になるからね。

ということで、額に入れると画像は必ず端が隠れることになるので、額に入れてはいけないということ。

先日開催された北海道近代美術館でのゴッホの絵は、ことごとく額に入れられていて、どうもレイアウトがちょっとだけ変で腑に落ちないと思って見ていたのだが、ペン画だったかな。額には入っているのだが紙全体が隠されずにマットに貼られていたのが二点ほどあった。それらの絵は、紙の端の端まで使われていて、葉の先端がぎりぎりまで描きこまれていたし、空白部分の雰囲気が良い感じでレイアウトされていた。しかし、テーブルに置かれた静物の絵など、画面のぎりぎりからはみ出た感じで置かれたものは、レイアウトが変だった。たぶん、額を取ってキャンバスを裸にしたら、完璧なレイアウトだったんだろうと思う。
キャンバスや紙の端まで完全に見える額を、誰か作ってほしいな。額に入れなきゃちゃんとした展示物として認めたくない人がたくさんいるみたいだから。

2019030226バスケットボールのスリーポイントシュート

むかし、わたしが学校の部活でやっていた当時はスリーポイントなんていうルールはなかった。だから、遠くからシュートを入れることに、ほとんど価値はなかった。タイムアップ寸前に、遠くにいてしょうがなくロングシュートを打つってくらいだったかね。普通は、そんな遠くからわざわざシュートしてはずすより、うまいこと近くに寄って確実に決めた方が良いってこと。
しかし、今は、スリーポイントの線の外からうって入ればスリーポイントだ。上手な人は結構な割合で決める。凄過ぎ。あんな遠いところからシュートしたら、普通、リングにもなかなか当たらないよ。
ルールが改定されたら、みんな練習して、出来るようになるもんだねえ。

2019030325四万時間の寿命

LED電球の箱に、定格寿命が40000時間と書いてある。但し書きで、「定格寿命とは、あらかじめ設定した条件での平均値です。」とある。条件の中身は書いていないのだけど、寿命を短くしそうなつけたり切ったりも含んでいるのかな。まさか、連続点灯が条件ってわけではないと思う。
四万時間は、つけっぱなしだと24時間で割って1666日間。365日で割って、約4年半。一日八時間だと三倍の13年間余り。
現在、玄関の明かり(60W相当)とベッド下の小さいランプ(5W相当か)をつけっぱなしにしているんだけど、二年は持っているなあ。平均までは持ってほしいな。
十二、三年前に、ナツメ球タイプのLEDを買って、蛍光灯器具のナツメ球のところに付けて、晩はつけっぱなしにしたことがある。毎晩つけている白熱球のナツメ球は数か月で切れることが多いので、長寿命だと宣伝していたLEDにしたんだ。数百円したような覚えがある。白熱球のナツメ球の十倍くらいの値段だ。そいつは数か月で切れたね。普通のナツメ球を十個買った方が良かったと思ったのだが、今では白熱球はなかなか売っていない。
LEDは白熱球に比して、同じ明るさだと電気の消費量が数分の一だ。でも、本体が高いから、元を取るのは難しい。特に、ほとんどの時間は通電していないが、頻繁にオンオフを繰り返すところ(便所とか)では、白熱球の方が経済的だと思うのだが、世の中から白熱球がなくなりそうだ。こんなことを徹底させる暇があったら、もっと有効なことに一所懸命になった方が世のためだと思うのだが、省エネを標榜する政府は白熱球の撲滅に命を懸けているみたい。

20190304梅酢は汁の深みを増す

特に、トマト味の時は簡単に美味しくなる。ほぼ、魔法の調味料状態。梅漬けを作るときの副産物なのだが、梅漬けは梅酢の副産物であるとの見解もある。

2019030524微弱電波泥棒

リレーアタックって言う車泥棒が活発に活動しているそうだ。手口は、いまの新車がほとんど採用している「スマートキー」から出る微弱電波を家の近くでうろうろして?拾い、それを仲間にリレーして仲間が車を開けてかっぱらっていくと言うものらしい。
「スマートキー」だと、それを持って車のドアの近くに行けばロックが解除され、車の中にあればエンジンをかけることができる。いちいちドアの鍵穴に鍵を差し込んで回す必要もなければ、いちいちエンジン始動用の鍵穴に鍵を差し込んで回す必要もないなど、「すごく」便利なシステムだ。しかし、それを狙われた。
わたしは古い人間なので、遠隔操作は好きでない。現物の鍵で鍵穴に差し込んで回すと言う手順でやりたい。なぜならば、遠隔操作だったり持っているだけで特にやることがないと、ぼーっと生きているんで、やったと言う意識の記憶をきちんと作ることができない。体をそれなりに使って行動しないと頭に入っていかないってことね。
そういうわけで、いま乗っている中古のフィットも電波でドアロックを解除できるが、使わない。代車でスマートキーに触れたことがあるが、好きでない。
でも、まあ、昔から、電波を外部に出したらそれはハックされるというのはその道の方々には常識だったと思うのだが、車メーカーは結構無頓着だったのね。「どうぞ使ってください」と家の前に差し出されている鍵を「もらってくぜ」とも言わずに、泥棒さんたちは黙ってちょうだいしてさっさと仕事を済ましているってことなんでしょね。
楽な仕事してるねえ。
警察や販売店の方々が集まって対策を協議しているって報道があった。対策としては、微弱電波が出続けているスマートキーに缶詰めの空き缶(錫でメッキされている)をかぶしておけば電波が遮断されてオッケーていう「スマート」な方法が紹介されていました。車を降りて、家に入ったら忘れずに空き缶に「スマートキー」をちゃりんと入れる。
これでカンペキ。

2019030625高橋藤一杜氏

201903042225-2310 NHKプロフェッショナルにて放送された。
なんで途中から見始めたのか忘れたが、最後まで見た。
酵母にじっくり仕事をさせろと言っていた。下手に温度管理したり、かんましたり(注1)してはいけないってさ。酵母にやらせたら、良き酒ができる。そういうことらしい。
目と耳の記憶が薄れる前に、ここに記録して固定する。

注1:「かんます」って、どうも、北海道方言みたい。撹拌するの意。大学に入学して、実験の時、「それかんますんだってさ」くらいの伝達をした時、北海道人でなかった班の一員は、聞き返してきたのを覚えている。かつては普通に使っていたので、まさか通じないとは思わなかった。

2019030724ボールペンは滑り過ぎて嫌いだが

Ballpoint penって、中学校の時に習ったな。まあ、こっちの方が物の作りを正確に表しているが、ボールペンの方が簡単に言えて良い。
滑りが良すぎて、制御するのに肘から前が緊張して好きでない。ちょろっと書くだけなら良いが、授業でノートを取るなど、それなりに大量に書くと、非常に疲れる。固まってしまう。下手なだけだろうけどね。
しかし、便利ではあるね。それは認める。
ペン先を出しっぱなしにしていても乾くこともなくすぐ書ける。線の太さがほぼ一定。筆圧を強くできるから複写の時は必須。インクが強いので長年にわたり消えない。インクの持ちがすごく良い。だいたい、使い切るということが難しい。そして、かなりいろいろな相手に書ける。書けないのはガラスとポリオレフィン(注1)ぐらいか。それは言い過ぎかな。でも、かなり多様な材質に対応する。
滑るので嫌いだけど使わざるを得ないので、貰ったグロスが調子良かったので、太字の替え芯にして使っている。まあまあ疲れない。細字のペンの利点は享受できないけど、どっちみち、小さい字は書く気がないので、ほぼ問題ない。

注1:ポリエチレンやポリプロピレンなど。無極性高分子はさすがにインクはのらない。マジック(フェルトペン)も同様でしょ。

2019030825漢方薬の即効性

芍薬甘草湯68(注1)は、筋肉がつった時、つってから飲んでも30秒で効き始め、一、二分で筋肉が緩む。魔法のようだ。
体液のバランスが何となく悪いような気がするので、芍薬甘草湯を飲んでから寝ることにしよう。
注1:赤の68番(ツムラ)は、芍薬甘草湯の背番号。

2019030924音の伝わる速さ(と光の伝わる速さ)

東京書籍の中学校の理科の教科書(注3)を開いたら、「音が伝わる速さ」という項目が目に入った。

---引用はじめ---
音が伝わる速さ

音の伝わる速さは、空気中で、1秒間に、約340mである。これは、光の速さが1秒間に約30万kmであるのに対して、はるかにおそい。いなずまや花火の光が見えてから音が聞こえるまでに少し時間がかかるのは、このためである。
---引用おわり---

音に関する第2章の項目だから、音中心の記述であることには異存はないが、しかし、光の速さがいきなり出てきて(注1)、音の速さと比べている。結論は「(音の速さは) はるかにおそい」であって、雰囲気のみの記述だ。秒で単位をそろえているんだから、長さの方もそろえてきちんと比較させろと思う。

音:340m
光:30万km=300000km=300000000m

音の速さは光の速さの約880000分の1(88万分の1)ってところでしょうか。「はるかにおそい」の程度がこういうことだってことくらい示しても良いかと思いますけどね。

たとえば、一円玉は約1g。軽自動車が600kgくらいから1000kgくらい(注2)。というふうに、一円玉が「音」で軽自動車が「光」っていう、良く目にしているもので比較をすると、ちょっと実感が湧くかもしれない。

注1:第1章は光に関する話なんだけど、光の直進性や反射・屈折・レンズの話はでてくるが、速さの話はまったく出てこない。

注2:600kgくらいから1000kgということで、880kgもありそうですね。
880kg=880000g(=88万g)

注3:新しい科学 1分野 上 平成13年2月28日検定済 2|東書|理-701 16page

2019031024炒り大豆が美味い

[作り方など]
・大豆を買ってくる。生協のご当地野菜売り場に少し大きめの袋で単価が安めのが置いてある場合がある。
・160mL程度を取り分けて、ぬるま湯に15分程度浸す。冷水よりぬるま湯の方が早く水が浸透する。もう少し長時間の方が良いかもしれないが、待てない。また、じっくり一晩浸すと、柔らかくなりすぎて、炒るのに不適。煮豆用だな。
・24cm径のパン(スプリング社のクリスタル)に入れて炒る。ごく小さい火で、10分おきに揺らして動かす。
・30-40分くらいで、たぶん大丈夫。一粒食ってみて、生臭かったら追加して炒る。3gくらい塩を入れて少し炒る。
・ぽりぽり食う。

2019031124緊急地震速報のチャイム


ケータイから突然に鳴り出す「ジャンジャン、ジャンジャン」は、大変な事態だと感じさせるには優れているが、落ち着いた行動を促すのは不得意だ。パニックを助長する感じだ。
「法螺貝を吹いた音色」が良いと思う。不測の事態が起きていることはすぐ感じられるが、パニックに陥らず、落ち着いた行動が促される。


参照:https://news.livedoor.com/article/detail/16140158/?fbclid=IwAR17pd9NKZb9M_I_Z-Wkbfq1m7P-Pez6plHFlYHmY_S8pAJzC2MR631DTXY
「急変する音程と不協和音 緊急地震速報のチャイムに怖さを感じるわけ」

20190312新元号はアンシン?

ローマ字の頭文字はアルファベット一番の「A」。漢字は「安晋」。アンシンと読む。安心に通じ、験が良い(たぶん)。これで完璧安倍晋三。名を歴史に刻んで、悲願成就でしょう。これにて政界から勇退していただける。
何年、何十年になるのか、蕁麻疹を伴いながら我々はアンシンを使わねばならないが、勇退していただけるなら、おぞましい蕁麻疹も甘受いたしましょう。

2019031324行政はおおやけが基本

なぜ、開示請求しなければならないのだ。基本、即刻すべてを開示せねばならないというものだ。市民に対して秘密にするべき理由は、無いはずだ。基本は、すべてダダ漏れ。テキストデータでいつでもだれでも参照可能。廃棄せず、永久保存。個人情報? 理由を開示してでないと隠すことあたわず。
また、開示していないものでの約束は「存在しない」ということ。つまり、秘密条約とかいうものは認めない。世界に向けて、そのように宣言すればよいだけ。責任ある立場の人間が他国と「国益のため」として秘密の約束をしたもので、国益のためになったと思われるものはない。
国としてはもちろん、市町村における行政も、すべて、誰でもが参照可能でなければならない。昔と違って、書類の山が倉庫からはみ出るってことはない。すべてテキストデータ。
腹芸とか、暗黙の了解とか、根回しとか、事前の打診とか、あれやこれやをしても、その効力は認めない。だって、おおやけに存在してないんだから。

2019031424九九

私が小学生だった時、九九を暗記させられた。暗記が嫌いなあきとも君は、こざかしい小学生でもあったので、大きい数から小さい数をかけるのを暗記しなかった。いやね、九九のテストの時まではかろうじて暗記したが、それが過ぎてからは無視したということ。
よって、いま、大きい数から小さい数をかけるときは、暗記している小さい数から大きい数をかけるために頭の中で一旦数を記憶する必要がある。
よって、計算が遅い。
また、手順が増えて間違う確率が高くなる。
小学生だったあの時、素直に九九を全部暗記していたら、もう少し楽な人生を送っていただろう。「人生」って大げさなと思うかもしれないが、小中高大と、何かと筆算させられたので、そこでの「計算の不得意」は結構なハンディだったと思う。そして、割り算は、九九を駆使しつつ引き算が何度もなされる脳内メモリを使う計算だが、私の場合は九九を反対からかけるためのメモリも消費するので、時間がかかって間違いも多いのに脳内はしっちゃかめっちゃかすごく働いている。ということは、問題そのものに費やすべき脳資源が足りなくなり、苦しい展開を強いられるってこと。

こざかしい小学生ごときに調子こいたことをさせないで、たとえ暗記が二倍になっても九九を全部暗記することはすごく意味のあることなんだよと納得させる教育をすべきであったことよ。計算の手順が完全に一方向でできるってことは、速さとともに正確さも併せ持ち、それほどすごいことをやっているにもかかわらず、頭はたいして使わなくても良くって、計算と言うものをただただ機械的にやれば良いだけの単純で簡単なものにするんだよと、諭してほしかったなあ。

2019031525雪庇がすごいシーズンだった

江別市の降雪情報サイトによりますと、今年の積雪量は多くはなかったというところでしょうか。例年並みと言っても良さそうです。
しかし、不思議なことがありました。屋根の雪庇が著しく発達するのです。新しくできた近くのクリニックの平らな屋根からは、大きく巻き込んだ雪庇がせり出していました。いつも車で通る家々の屋根からも、いつになく大きくせり出しています。いつ落ちるかと、他人の家にもかかわらず、気になって通るたびに観察していました。我が家のカーポーチの屋根の雪は、例年だとただただ上に積みあがっていくのですが、今年は東側にズリズリと移動し、となりの家の車庫の屋根の上の雪に襲い掛かっている。教会の屋根からは、見たことのない雪庇が氷を伴って大きく突き出していて、何とかしようと近づいたら死人が出る勢いだ。
風向きが一定でかつ強かったというのが仮説として考えられますが、体感的にはそのような風が吹いていたような感じではなかった。
ちょっと不思議な大麻の冬でした。

2019031624書くに値しないことの価値あるか

たぶん、私の書くことは、書くに値しないこと。ちょっとした観察だったり、見解だったり。だれもが知っていて、珍しくも面白くもないこと。
昔のことを研究している人の話を聞くと、その当時あたり前のことらしく、書くに及ばないというか、書こうと思うことがあり得ないくらいあたり前のことは書かれていないが、それこそが知りたかったということがたくさんあるようだ。書かれていることは、当時、特別だったこと、特記すべきこと、珍しいこと、すごいこと、、、。それも知りたかったけど、当時あたりまえで普通でありふれていることをきちんと記述して欲しかったってね。たぶん、誰も書きはしなかったんだ。
だから、誰も読まなくても書いていたりする。もちろん、すごく未来の知能ある何者かに向けて書いているわけではなく、手慰み程度の意味でしかありませんがね。

2019031724乾癬が、顔にできたら大変だ。

わたしは幸い足首近辺にとどまっている。手の指先のひび割れや何やらも、たぶん、乾癬。これは痛い。軟膏塗って、ほぼカサカサは無くなったが、皮膚が黒ずんでいる。これが顔だったら、かなり目立つ。
乾癬の原因はほとんどわかっていないようだが、細菌やウィルスの感染ではないのでうつらない。

20190318死んでも仕方ないのは年間何パーセントか

ざっとの数字で言う(頭から二桁でやる)。
日本の人口は一億二千万人(頭から三桁目は切り捨て。四捨五入しても良いが、すぐにこれで良いことになるだろうから)。
最近年の交通事故死(24時間以内。三週間だったかで見ると三割程度増えるそうだ。ケガして大変だった人、今も不具である人は含まれていないことに注意。)は四千人(ちなみに、最悪の時は年間一万七千人)。

4000/120000000=3.3*10^(-5)=0.000033=0.0033%

年間、日本において、四千人が交通事故で死んだとしても、日本人は便利な車は手放さないことに同意している(と言うことだよね)。

2011.3.11以前は、「原発由来」の年間1mSvを浴びても日本人は許容することにしていた。この数字は「原発由来」であり、自然界からのものは入っていない。
宇宙線からとか地面からとか食物からとか、自然界にもともとある放射線量は、地域によってかなり違いがあるけど、それはそれ。とにかく、追加でどこまで許容するかと言う話だ。
追加の年間1mSvで、一年間でその放射線のためにガンになる人の割合を、

5.5*10^(-5)=0.000055=0.0055%

と、ICPRでは見積もっているそうだ。最悪期の交通事故死よりも少ないが、現在の交通事故死よりは多いようですね。
避難指示が解除される値が年間20mSvと、非常事態宣言が継続していますね。この値での一年間でその放射線のためにガンになる人の割合を探せなかったのですが、たぶん、年間交通事故死の最悪年を超える人々が、原発由来の増えた放射線によってガンになると言うことでしょう。
これを許容するか許容しないかということが問われているわけです。
「便利な車」と「年間四千人の死者」を比較して、「便利な車」を選んでいる日本人。
「努力して除染してもやっと20mSv/y」と「帰還して年間数万人のガン(日本人全部がその環境だったとして)」を比較して、「(除染はそれ以上無理なので)帰還して昔の生活を取り戻す利益(があるはず)」を選んでいるということ。あるいは、強要されているって言うこと。

原発爆発前の平時には年間1mSv以下であることとされていたのは、ほぼ、交通事故死が許容されると言う水準であったけど、20mSv/yを許容すべきと言う今の水準は、交通戦争と言われた交通死最悪の年よりもガンになる人の割合は多いと言うことを意味している。

それが、「除染済み」の意味するところ。

2019031924ウィンドウズのテキストエディタでリアルタイムで文字数がわかるのが欲しい

マック用だと、いつも使っているJeditで可能だ。全文字数と選択したものの文字数とが両方一度にリアルタイムでわかる。しかし、Jedit以外でそのような機能のあるものが見当たらない。探し方が足りないだけかなあ。

2019032024スマホ率高し

2019年03月20日20:03札幌発江別行きの一両目に乗った。発車10分前くらいだったので、座ることができた。ほどなく、席は埋まっていく。
習慣的に、とりあえず、スマホ扱いの左利き率を数えてみる。16分の4と、いつになく高い。
で、ちょっと気になった。座っている人でスマホを使っていない人がほとんどいない。数えてみました。26分の3。スマホ率は23分の26で、88%のスマホ率。

異様な風景。

2019032126イチローの引退試合を見た

記者会見も見た。25時30分になった。
東京ドームでのマリナーズとアスレチックスの試合は延長11回まであり、その前に、8回の守備に就いたが始まる前にイチローは退き、その際に、みんなとハグして時間を使い、延長戦が終わっても満員の観客がイチローコールで、しかし、なかなか出てこないイチローを待ち、出てきたイチローはゆっくり一周して挨拶し、予定の記者会見もなかなか始まらず、始まったらじっくり時間をかけ一問一問答えと、すべてに時間がかかった。
上の文のように、あちこちに行って、焦点の定まらない記者会見だったけど、一流選手の頭の中が少し垣間見られ、見続けることになってしまった。才能があって、努力し、努力を重ね、結果もついてきて、しかし、頭の中は、どろどろと定まらない状態であり続けたのかと思う。常に新しいどろどろの中でもがいていたということ。
今の野球は、頭で考えない方向に向かっている。次の5年、10年はどのようになるのかわからないが、そして、頭で考えなくて良い方向にはいまは向かっているが、どうなっていくかを見るのは興味深いとのことでした。そもそも野球は頭で考えるものだってね。メジャーで始めた19年前と、今の野球は全然違ってきているってさ。
同じ場面がない、いつも違う場面場面である野球は面白いってさ。それには頭で考えて対処するんだって言っているようではあったが、今の野球は変わってきているんだろうか。具体的に何を指して言っているのかはわからないでいる。

2019032224ファイル名を登録するとき

最初の保存の時、 書いたテキストの一行目がファイル名候補として記入済みだと、たいていの場合そのまま登録できるから、あるいはちょっとだけ修正して登録できるからとっても楽。
Jeditはそうなっているから使う機会がどんどん増える。

2019032325「まなぶん」のcoolはかっこいい

「道新こども新聞 週刊まなぶん」が北海道新聞の土曜日に入ってくる。その2019年3月23日(土曜日)の3面の「ABC 英語 English」の英会話の日本語訳の話。
例文で、女の子が体育館でバレーボールをやっている男の子たちを指差しながら、一緒に見ている男の子に言っている。

Look ! He is cool !
He can jump high.
見て、あの男の子かっこいい。
高くとべるの。

こんな感じ。どうも、小学校5年生向けらしい。
それで、何を言いたいかというと、coolの日本語訳に躊躇なく「かっこいい」を当てて何の説明もない。そりゃ、この場面での coolは「かっこいい」で良いでしょうが、もともとの意味は、(物が)冷たい・(場が)涼しいってので、もちろん、今でも普通にその意味で使う場面がある。次に、冷静であるとか、冷淡であるとか、無愛想であるとか、そういう風に人のことに使う。その上で、「かっこいい」ってのがくる。そのかっこよさも、爆発的な活動性で表現されるものではなく、冷静な大人の対応をする風情を指して「かっこいい」だろうに。
はじめて習う英語で、coolが「かっこいい」と一対一対応してしまったら、クールボックスを指して「かっこいい箱」ってことになってしまうよ。

2019032426乳糖不耐症って

牛乳を飲んだらお腹が膨れるとか、そういうの。
乳糖って、ブドウ糖とガラクトースという単糖がくっついている二糖類の一種だ。哺乳類の乳に含まれている。普通は、乳糖を分解する酵素のラクターゼを乳児は持っているので、分解して腸から吸収して栄養とする。そういうのが「哺乳類」というものだ。
で、哺乳類一般は、乳児期を卒業してほかのものを食べるようになってくると、ラクターゼの活性が落ちてくる。落ちてくると、乳を飲んだら乳糖を分解できないでお腹がはれたりするってわけで、乳が飲めなくなってくる。
それで、ヒト(注1)の場合だけど、まあ、人乳はスーパーマーケットの冷蔵庫には入っていないが、牛乳は普通にあるわけだ。乳児でなくても牛乳を飲むのか。
かつて、日本では牛乳を飲む習慣はほとんどなかったと思うが、たぶん、戦後に始まった学校給食の中で、アメリカから持ち込まれた習慣とえよう。栄養価の高い牛乳を飲みましょうってね。それで、だいぶ前から普通に牛乳はたくさん売られているわけだが、結構な割合の日本人種は、体にいいはずの牛乳でお腹が膨れちゃう。そういうのは乳糖不耐症って言われたりするわけだ。でも、普通の哺乳類は、成体になると乳はまともに消化できなくなる。多くの日本人種と同じだ。つまり、日本人種は乳糖分解に関しては普通の哺乳類だ。
じゃあ、牛乳を飲む習慣を元々持っているのは誰かというと、白人種だ。彼らだけが「ヒト」の中で乳糖を分解することが成体でもできたりする。
モンゴルの人達は乳をとる。しかし、ヨーグルトにする。乳酸菌に乳糖を分解してもらうのだ。ちょっと調べてみたところ、黄色人種だけでなく、黒人種もだいたい同じらしい。ということは、ひとえに白人種が異常ってことだよね。成体になっても乳児と同様にラクターゼの活性を維持している。
ということで、乳糖不耐症って、乳児以外のヒトには適用するべきでないよね。乳糖を分解できないのは普通なんだから病気ではない。でも、小学生は牛乳を飲むことを強制されたりする。理不尽だ。

注1:ヒトって書いたら、生物学における種としてってことを意味したりする。

ところで、私自身は牛乳を冷たいまま2,3カップ一気飲みしても問題ない。

20190325今までで一番よかった買い物

新所パルコで黒い弁当箱を買った。しばらく普通に使っていたが、柔らかいプラスチックの中蓋を火のそばでとかしてしまった。
新所パルコに買い物に行った時、中蓋のことを思い出して買った店に行ったら同じ弁当箱があった。店員のお兄さんに「これと同じ蓋が一つ欲しい」と言った。お兄さんは「それではお取り寄せしますので、お名前と連絡先をお願いします」とのこと。一週間から十日くらいかかるそうだ。まあ、それでも良いかと思ったが、この蓋のためだけに出直すのは面白くない。それに、欲しい蓋がここにある。
「いま、ここにある弁当箱についている蓋を売ってくれませんか。そして、お兄さんは蓋を発注して、それが来たらこの弁当箱につけるってことで、どうでしょう」と提案した。お兄さんは、ちょっとだけ考えて、「いいですよ。これで良かったらお持ちください」と言ってくれた。百円だった。お兄さんは、あとで、発注書を書いて、十日後くらいに来たその蓋を引き上げておいた弁当箱に付けて、あらためて店頭に出してくれたんだろうね。ありがとう。
あるいは、同じ弁当箱の在庫があって、店頭には弁当箱を並べ続けることができたのかもしれない。どちらにしても、商品の一部を一旦ばらして、一部を売って、その始末をめんどうだけど忘れずにやったということでしょう。百円の売り上げだから、その手間賃は全然入っていないね。でも、お客様の便宜をはかったということ。もちろん、そのお客様は、そのお店が気に入って、新所パルコに買い物しに行った時は必ず眺めに行き、何かしら買い物をしたってことは確かだ。

20190326「ご心配とご迷惑をお掛けし、申し訳ございません。深くお詫びいたします」

タイトルは、不祥事を起こした企業や行政などのトップなりそれなりの責任者が記者会見などで一番最初に発声する定型文だ。「申し訳ございません」が省略されていたり、微妙に言い回しが異なることもあるが、「ご心配」「ご迷惑」「お詫びします」の三点セットは欠かさない。
責任ある立場の人間が出てきて最高度の謝罪の言葉を述べているわけだが、これ以上誠意のない文言もないものだと感じているひとも多いかと思う。私もその一人だ。しかし、これ以上ないと思われる謝罪の言葉を述べているわけだから、ちゃんとあやまっていないと非難する理由がなく、もどかしいが受け入れるしかない。
この定型文を語る人に誠意がないのは、たぶん、本当だと思う。多くの人が感じるとおりにね。どこにも瑕疵がなさそうな言葉の選び方だし、言い回しのような気がするけどね。
誠意がないのはどうしてかを考える前に、ちょっと場面設定してみようと思う。
やくざの下っ端が、なんか間違いを犯し、指を詰めるのか切腹でしか許してもらえないようなとき、親分の前で「ご心配とご迷惑をお掛けし、申し訳ございません。深くお詫びいたします」ってやったら、たぶん、その場で打ち首だ。この場面でそれなら問答無用で一瞬にして命がなくなることにみなさん、同意していただけますでしょうか。同意していただけるとして話を進めますと、この詫びの入れ方は命を失うほどの誠意のなさであるってことです。と、誠意のなさ加減を確認したところで、どうしてかを考えます。
あやまることになった対象、たとえば、製品の強度をごまかしたとか、公文書を隠蔽のために書換えたとか、そういうのはそこであやまっている本人とは分離しているということで語っている。言っていることは、あくまでも強度をごまかしたことであり公文書を改竄したことそのものであり、語っている本人の人格とは別の存在であるという前提での文言だからだ。
文句を付け加えてもう一度書いてみよう。
「製品の強度が規定より小さい可能性のご心配とそのような可能性のある製品をお使いいただいていることに配慮していただかねばならないというご迷惑をお掛けし、申し訳ございません。法人の○○会社は深くお詫びいたします」ってところかな。だから、あやまっている本人自身に責任があり許しを乞うているってことではなく、法人の単なるスピーカーであるという立場を崩していない。スピーカーの役割をたまたまやる羽目になったってだけね。まあ、本質的に無関係だと思っているね。こんな態度なら、たしかに、親分に即行で消されてもしょうがないね。
記者会見で組織を代表して出てきたんなら、まず、 あなたが組織全体そのものであるということでその場にいるってことを身をもって示さねばならない。その上で、あやまる。「お詫びする」って言い回しは、主体が「わたし」じゃないね。第三者が誰かが誰かにあやまっている状況を描写するときに使う言葉でしょうね。親分の隣にいる幹部が「馬鹿な子分が親分に詫びを入れてるな」ってね。自分が親分に何とか許しを得ようとあやまるときには「ごめんなさい。わたしをどのようにでもしてください。もし、許していただけるなら、何でもします」ってことを言葉で態度でしめさなくちゃですね。つまり、許す主体はあやまっている方ではなく、あやまられている方である。あやまっている方には自分の処遇をどうするかの主体性を保持する権利はないってこと。表題の定型文には、その、謝罪の本質がないってこと。だから、誠意を感じないってこと。あやまるときに自分の体面を気にしている暇はないよね。

2019032724「お金が不足してます」ってすぐ言うな!

近所のセルフのガソリンスタンド。Tポイントカードを入れて、たまっているポイントを何点使うかを設定して、ガソリンをいくら買うかを決めて、それで良いよと確認を押すとその瞬間に「お金が不足しています」と間髪をいれずに機械は言う。物事には順序があるでしょ。画面表示に従って画面のボタンをいちいち押してるんだから、その次に、財布のお札を取り出して、入れにくい挿入口にお札を差し込むってのが順番でしょ。お客さんがお財布を出すのをちょっと待つプログラミングにしたらどうなの?
プログラムしたあんた。あんたがプログラムした機械を納入前に使ったことがないでしょ。使われる状況において、とりあえず実際に試してみてから完成品としてね。

20190328行って、買って、読まねば「土 地球最後のナゾ」

道新のくらし欄に紹介があった。藤井 一至(ふじい かずみち)さん。農学博士。土壌研究者。たぶん、著書が魅力的な語り口であるからなのだろうけど、記者の伊東正剛さんは記事の表題、サブタイトル、リード文、インタビュー形式の本文、強い掴みとひろがる展開。そして、土壌へと収束し、近い将来の百億人を養うのは土にかかっていることを納得させる。加えて、著書紹介の小さなコラムでは、さらにビックリのエピソードを突っ込む。
行って、買って、読まねばならない。

「土 地球最後のナゾ」
藤井 一至 著
光文社新書 994円

北海道新聞 2019年3月28日木曜日朝刊 15面 くらし

P.S. この記事の書き方、真似しよう。

2019032924原子力発電所が事故るってこと

福島第一原子力発電所が事故ってから、丸八年たったわけだが、ほとんどまともな検証はされていないと言えよう。事故報告書は出たことになっているが、現場の中心地にはまだ人は立っていない。中心部がどうなっているのか、ほぼわかっていない。あと、何十年人は立てないの? はっきりしているのは、わたしがたとえ百歳を超えて生きていたとして、人があの中心地に立ったというニュースに触れることはないだろうって言うことだ。
政府は原子力発電所を再開する方針だし、現に、発電しているところもある。万が一にも爆発しないという根拠もなく、動かしている。また、止まっているのを動かそうとしている。万が一の「万」は、「万年」でも足りない。「万世紀」でもどうだろう。今回の爆発は、それこそ、万が一の幸運によって、首都圏はおろか、日本国全土、いや、近隣諸国の土地に人が住めなくなるような被害を免れている。それは、最後の砦であるところの原子炉格納容器が機能を果たしたとか、そういう理由ではない。だいたい、メルトダウンしているし。穴は開いているし。
四号機のプールの燃料は漫画でもないような「奇跡」で水が満たされたし、概ね海に向かって風は流れていたし、命を賭して収束のために働いた人がたくさんいたからだ。
今日も道新の記事。あのとき、消防も警察も東電も束ねて総指揮をした自衛隊の、当時陸自中央即応集団の副司令官の田浦正人さんが言う。次に爆発して瓦礫に東電社員などが埋もれた時の想定をして瓦礫除去の戦車を用意して訓練していた。隊員同士、死を覚悟していた。その恐怖をミーティングで共有して、なんとかみんなでその恐怖を乗り越えていったと。あの時はそれだけの危険があった。
そして、今、その危険がないと言えない存在の原子力発電所を動かしているし、止まっているのを動かそうとしている。
わたしたちの現代文明は、文字を人が獲得してからとすると、最古のシュメールにさかのぼっても、まだ1万年に満たない。我々の種ホモサピエンスが生じてからも30万年? ヒト族が出現してからだと700万年? 原子力発電所で生じる捨てなきゃなんない放射性物質は、そういう期間、どこかに埋まっていてくれなきゃならないんだ。10万年を封じ込めておくにはどうたらかんたらって、普通に議論されている。神をも怖れない、身の程知らずな態度と言えよう。10万年だってさ。議論しているお前さんは生きてんのか? 原子力発電所の危険がないとしても、現生人類が生き残っているかどうかわからないくらいの期間の話をしているんだ。
半減期って、半分になる時間だから、半減期の二倍で四分の一に、半減期の三倍で八分の一になるに過ぎない。今、福島第一原子力発電にあるだけでもトン単位(数百トン)で言わなきゃならない量なんだから、地上に出てきても困らない量になるにはまだまだ時間がかかる。(半減期の長い奴を濃縮する気だから、嵩は小さくなるが、濃縮されたものは半減期の長い奴で、濃縮したからと言ってそいつらが少なくなるわけではない。埋める量が少なくなるから扱いやすいと踏んでいるにすぎない)
今回、福島第一原子力発電所から空中に出てきた放射性物質って、何トンだと思う?
0.01トン、10kgくらいかなあ。もう少しかなあ。それも、ほとんどが海に行っていて、人が住んでいる地上にはぐっと少ない量のはず。原子炉にある奴全部と桁が四つくらい違うような気がする。原子炉にある量の本当にほんの少ししか出ていないのね。だけど、この惨事。
管理しなくちゃならない、すでにたまっているブツは、日本で1万9千トン。世界では20万トン以上?はありそう。
田浦さんみたいなすごい人たちがあと一万人いても、「奇跡」が起きていなかったら人はまったく住めない地球になっていたのかもしれない。

北海道新聞 2019年3月29日金曜日朝刊 7面 「聞く語る」

2019033024たまには、飲んでる。

2019033124一日は24時間だから

一日は24時間だから、それ以上の時間を享受することはできない。人に与えられた一日の時間は24時間。これ、全世界の人に共通する前提なり。
ざっくり、三つにわけてみる。8時間。

睡眠8時間。
仕事8時間。
自分のために8時間。

仕事8時間じゃなくもっと働いていると言う方々の指摘はあるかと思いますが、「本来」これくらい以下であるべきと言うことであり、理想として、ざっくり、三つ均等にわけてみました。仕事はせいぜい二、三時間で結構という思いもありましょうが、ざっくり均等に三分割。
とするならば、自分のために8時間。飯食ったり糞したり風呂はいったり、そういう生きていくのにどうしても必要な自分のための時間と言うものもありましょうが、人間としての豊かさの中で享受する時間もここに含まれる。つまり、テレビを見るとか映画を見るとか美術館に行って絵をめでるとか本を読むとか友達と時をともにするとか家族とあれこれするとかエトセトラあんどソーオン。
というわけで、ビデオに録画なんだなこれが。気になるスポーツ・ドラマ・映画・音楽・・・あれこれたくさんある。ビデオに録画してあとから見る、つもり。
録画する人にとって超特別で貴重な録画なら、それは録画してあとで何回もじっくり見ると言うものでしょうが、日常的なドラマの録画とか、そういうのって、どうなの。録画しなくちゃ見れないって言うことは、その放送なり何なりの時は通勤時間だったり仕事であったりなどのやんごとなき理由で時間がとれないってことだよね。ということは、そんなにないとも言えそうな「自分の時間8時間」の中に、録画したドラマなんかを見る時間を設定しなければならない。録画は一個だけ? 興味あるドラマは週に何本? あれもこれも? いま、リアルタイムで見たいのもあるんじゃないの?
ということで、テレビの録画って、どうなの? いつ見るのって話だ。
テープでの録画が一般的になってきた当初、あれは1980年代かな。テレビが録画できるって、世の中が浮き立っていた時代、「いつ見るんだ」とわたしは気になった。録画はどれでもいつでもどれだけでもできる。でも、それを見る時間をどうやって確保するんだと。老後の楽しみにとっておく? たぶん、そうじゃないでしょ。本当はいま楽しみたかったんだけど、そうできないので今晩見るのだとか、そうするはずなんでしょう。でも、そんな時間は、たぶん、無い。録画して、それをゆっくり楽しめる時間なんて、有限な24時間のなかには、たぶん、無い。ビデオデッキがちまたに出てきた当時、そう思った。いまも、その考えを変更するべき話はないような気がする。
ビデオにとって、あるいは、ネットで配信されれて、でも、あんた、いつ見るの?

(テレビでのドラマをやっている時間には時間がとれないけど、別の時間帯なら時間がとれるという生活サイクルなので、録画とか配信は有効に使っているっていう話は、24時間問題とは別ですから、そういう理由で突っ込むのはやめてね。それはそれなりに理解してますから。)

2019040124新元号を知らないでいた時間は4時間

朝起きて、飯食って、11時30分はヤバイとテレビとラジオを絶ち、ネットに繋がった媒体を絶ち、CDを聞きながら、コーヒーを飲みながら、読めずにいた「土 地球最後のナゾ-100億人を養う土壌を求めて」を読んでいた。半分くらい読んだ。ちょっと買い物に出かけたりしたが、そこでは元号の話題は出ず、やり過ごせた。帰ったら夕刊が入っていて、レイワとある。午後三時半。四時間やり過ごせた。結構、抵抗できた口じゃあないかと自負している。だからどうなのかと言われても、「いや、別に」としか答えられないようなことなんだけど、ま、くだらない試みではありました。
何が大変だったかと言えば、ネットに繋がったいろいろを絶つってのが大変だった。ふと、自然にアクセスしている自分がいそうで、それはかなり強く意識的に避けていたってことね。アナログの本を読むっていう行為は、デジタルネット媒体を避けるには結構有効でした。
気色悪い発表者たちのリアルタイムでの映像を見ないようにと思ってやった試みだが、何とか達成できた。録画録音では、繰り返し繰り返し報道されたけど、リアルタイムでないので、ちょっとだけ気色悪さは少なくなるってものさ。

20190402既定路線を強要する教育

生まれて、新しい生を受けた子供は「世界がすごい」と、興味にひかれて、世界に突っ込んでゆく。それを阻止することはないんじゃないか。
学習指導要領から外れてはいけない。計画的に勉強せよ。試験はいついつにあるから逆算して勉強せよ。受験もあるから、一年生からしっかり逆算せよ。予習復習を欠かすな。部活と勉強を両立させよ。せよ、せよ、せよと、テメーが打ち立てた学問でもないのに、偉そうに勉強を強要する。それも、枠からはみ出ないように。それでいて「自由な発想で新しいものを作り出してほしい」とかのたまうんだろ。一万分の一でも新規性があれば、「これはちょっといただけない。本来こうあるものだ」って感じでコメントする奴が、お題目のように「現代は与えられたものを吸収するだけでは時代に遅れる。柔らかい発想で新しい価値を生み出してほしい」とか言ってるよな。

制服を着ることを義務化するような連中に、教育を任せてはいけない。

訳知り顔で計画的な学習を推奨する二人のSさんの話を道新で読んで、怒りがわいてきた。
北海道新聞2019年4月2日火曜日朝刊 15面 まなびのひろばぐんぐん(幼稚園のくさい標語みたいだ)

2019040325深い穴の記録控え


前提として、
大陸部の地殻の厚さは30km-40km程度。
海洋部の地殻の厚さは6km程度。
海洋部の水深は約3.7km。
富士山の標高は約3.8km。


深い穴は、

鉱山で地下3.7km超(タナトウ金鉱山)
陸上からのボーリング約12km。(直径23cmとか)

海上からのボーリング856.5m。(水深6883.5mにて。地球深部探査船「ちきゅう」での記録は世界記録)

ボーリングの細い穴とか、坑道のそれほど広くない穴でなく、円錐形にドンドン掘っていけば技術的に簡単そうだからどこまでも掘っていけるような気がすると言う意見もあるが、たとえば、標高4kmに満たない円錐形の富士山の体積は550立方km程度と推計されている。それほどの土砂をどうできるのかという問題が大きいので、このアイディアは試みられることはない。

そういうわけで、人類は、いまだに地殻を突き抜けてマントルまで達する穴をあけることができないでいる。

2019040425「ザルやボウル洗いむら」考察

「ザルやボウル洗いむら」と2019011525に書いた。90歳を目前に衰えたか父ってことだったが、60をこえたばかりの私も同様であると書いた。
で、自分の現在の様子を観察した。
衰えたのは「目か、手の感触か、位置把握の脳機能か」と書いたが、自己観察の結論は「脳機能の衰え」である。目の機能が衰えているとか、手の感触が衰えているとか、脳の位置把握機能が衰えているとか、もちろん、そういうのはある。ぼちぼち下降気味である。そういう、表面的な機能に関しても、それなりの衰えはあるが、根本的には「脳機能の低下」であるというのが結論である。
どういうことかと言うと、若かりしころは、器を洗う時にチェックする箇所の数が、今と比べて圧倒的に多かった。たぶん、四、五倍はあった。それを、洗う時に全部チェックし、かつ、洗う時間も短かった。チェックする箇所が四、五倍で、かつ、洗い切る時間も今よりかなり短い。たぶん、半分。ということは、時間あたりのチェックを今より十倍の頻度で行っていたと言うことだ。だから、見落としもないし、洗い切る時間も短い。
還暦をすぎて、脳機能が衰えて、チャチャっと手際よく鍋を洗うこともできなくなったと言うこと。これが結論。
と言うわけで、対処方法を考える。鍋がちょっとくらい洗いむらがあっても大勢に影響はないが、それなりに責任を伴う対外的な仕事に関してはそうは行かない。
若い頃の能力に脳機能を戻すと言うのはどうだろう。無理。できれば苦労しない。薬でとか脳トレでとか、基本的に無理。ちょっとは抵抗できるかもしれないが、ちょっとだけだ。二十歳の元気な機能を取り戻すことは、自然に対する冒涜とも言える。無理。
まあ、それなりに、意識して脳機能を良き状態に持っていこうとすることは大切ですが、二十歳の自分を取り戻そうというのは、無理。

では、どう対処するのが妥当なのか。

無理をしない。若い時に比べて十倍遅いことを認める。それを前提に行動する。
具体的に、そういう行動とはどういう行動?
それは、「おばあちゃん」に学ぼう。日向ぼっこしている様子の、縁側でこっくりこっくりしているおばあちゃんを手本にする。
おばあちゃんは、いそがない。縁側に干した梅漬の、番をしている。じっくり、時が流れるのを見ている。雨が降りそうなら、目を開けて手早く梅を取り込む。洗濯物をする時は、ゆっくり、丁寧に、時間をかけて、時間をじっくりかけて、洗う。なにごとも手早く済まそうとしない。丁寧に、じっくり、ひとつひとつ、ひとつをやったら、次のひとつを、次のひとつに取り掛かる。若者がその様子を見たら、気が狂うほどのゆっくりさ加減だ。
見習うは、これだ。早くやるのは無理。処理速度が十分の一になったのなら、十倍の時間をちゃんとかけて、ことに対処する。そうすれば、きちんとした仕事ができる。

そういうこと。

2019040526プリンタの不調

プリンタの問題なのか、コンピュータの不調なのか、ケーブルかコネクタか。ドライバソフトが想定外で立ち往生しているのか。
同じものが二つ以上あれば、短時間でチェックできるが、たいていは一つだけ。あれこれやっても確定的に駄目な原因まではなかなか行き着かない。ひょいと成功すれば、問題がいずこにあったかを心にとめることもなく、結果オーライで何したか忘れて、また、同じ問題にいたる。

2019040624一番安いシールって

22mm*18mmくらいの、糊付きで、紙にペタペタ貼ってなんかやった数を数えたりできるシールのことだ。
娘が小学校低学年くらいの時、何に貼りたいのか、可愛いシールが欲しい。お年玉を握って、シールが並んでいる文房具コーナーで何時間も(って気分ね)選びに選んでいた、あれだ。大学を卒業してピアノの先生をする歳になった娘はさすがにシールは卒業したが、ピアノを習いに来る小学生や未就学児のやる気を高めるものとして、可愛いシールを買っているな。ひとつ何かを達成したら一枚貼って良いよっていう、あれだ。
で、なんですな。何かをひとつやったらシールを貼るっていうのは、大人になってもやりたくなるものだ。自分を鼓舞するために、ちょっと努力して何かをやったらその証にシールを一枚達成ボードに貼る。小学生の時の気分に戻って、その気を高めるには悪くないひとつの方法だね。
シールを貼ろうと思うけど、どうしようって、妻に相談されたことがあった。いや、シールかあ。高いのはばかばかしい。まあまあの大きさで貼りがいのあるシールで、まあしょうがないかって良いことにできる程度に安いものって、何だろうと考えた。
三秒考えたらひらめいた。一円切手ね。あの、郵便制度の父である前島密(まえじま ひそか)の御顔がおがめるあの一円切手のお値段は一枚一円だ。これより安いシールは思いつかない。ほぼ、たぶん、一番安いしっかりしたシールだ。1シート買っても百枚百円。
妻は、ちょっと使ってみてはいたようだが、切手は一円とは言え金券。抵抗が大きかったのか、シールとしての使用はしりすぼみで、やめちゃった。よって、いまだに残っている。郵便物を送る機会が少なくなっているが、郵送の時には積極的に一円切手を使おう。
でも、一円切手より安い一円切手くらいの大きさのシールは一円切手以外に、無いよね。

2019040725弁当のおかずは三種に決めてる

豪華に五品でも七品でも良いのだが、毎日の弁当では気張らず三品。肉とか魚の入ったものと、土の中のもの、葉っぱ。三つの内ひと品には少し凝るが、後の二品は簡単にする。三品とも油ものではなく、少なくともひと品はさらっと脂無し。塩、醤油、味噌、梅酢、酢などを重複しないように使うのが良いが、それほどこだわらないで、醤油二品とかあり。続けることを旨とする。だけど、手の内を増やしてたくさん持つのは良いことだ。自由度が増して、三品を決めるとき楽になる。また、ありきたりの素材を七変化させるのを理想とする。まだ修行が足りず、二、三変化が限度だけどね。

2019040824調べるまでもなく、広大なテーマたち

テレビでIQが188とかの24歳が取り上げられていた。頭が良いってさ。確かに、良く回っているようだ。一時に(いちどきに)頭の中で扱える量もかなり大きいようだ。これ、便利だね。少なくとも、学校の試験はこういう頭があると楽勝だ。
で、知能指数(IQ)を出すためには知能検査をしなければならない。知能検査をするためには問題を作成しなければならない。そして、その問題は知能を検査するための妥当性を持っていなければならない。その妥当性は何に担保されるのかと考えると、問題が取り上げている事物・その取り上げ方が妥当でなければならないわけだが、その妥当性はどういう理由で妥当なのかが説明されなければならないが、それって、価値判断によるものだ。価値をどこに置くかの妥当性の共通認識は担保出来るのか。・・・か。・・・・か。って、こういうのはどこまでもいく。
「それって、どうしてそれで良いの?」って疑問への最終回答は誰がどうやってするのってことだ。先生がするの?先生の先生がするの?権威ある専門家?絶対君主? 神様を認めていないあなただとしても、神が出て来なければ最終回答はない。
そういうわけで、IQは相対的なものだし、価値が異なれば別のものとなるし、結構難しい。
でも、IQはまだやさしい。知能は「まだ」単純な概念だからだ。その点、教育におけるあれこれの評価はかなり難しい。あらゆる場面で価値判断が問われる。突っ込みどころ満載だ。
と、ここまで、ほぼ完全に抽象的な話である。具体的に何を指して言っているかに言及はない。ほとんど学習指導要領みたいなもんだな。つまり、具体的に何をどうするかを伴っていないので、ここまでは無価値であるともいえる文である。とはいえ、今後の具体的なあれこれがどういう位置に存在しているかをおおよそ示すでものとなるはずのものではある。

20190409数(かず)の数え方

いち、に、さん、し、ご、、、、って、数える。わたしは、声を出さない時も、頭の中で「音」として唱えている。「いち、に、さん、し、ご、、、、」
みんなそうだと思っていたのだが、どういう経緯で話題になったか忘れたが、数えるとき、頭の中では数字がひとつづつ増えていくって言う人がいた。日めくりカレンダーみたいなものが頭の中でめくられているらしい。その人にとって、数えるということは視覚的なことだというのだ。そういうタイプの人は、聞いてみると、結構いるらしい。
わたしの場合は、数えるものを目で追いながら「いち、に、さん、し、、、」とやる。たとえば、お札を目で追いながら頭の中で数を唱えて数えることができる。しかし、目で追えないもので耳に聞こえてくるものはうまく数えられない。二つ三つなら何とかなるが、ジョンレノンと小野洋子の二枚組サムタイムインニューヨークシティーのジョンシンクレアの「ガッタガッタガッタ・・・・」っちゅうのは、一緒に歌えない。15回「ガッタ」って歌って、カッコよく次に移る。たぶん、数字を日めくりでめくるタイプの人は、数えながら一緒に歌えそうだ。
と、この話はこれにて完結と思って、意気揚々と我が家で話題にしたら、もうひとつ超強力なやつがいた。
息子は、そのどれでもないという。数えるときは、その数のものが目の前(頭の中の目の前)を通過していくという。今一つ理解できなかったので、聞き直したら、どうも、たとえば、「お皿に乗った一個のおはじき・お皿に乗った二個のおはじき・お皿に乗った三個のおはじき・お皿に乗った四個のおはじき・お皿に乗った五個のおはじき・・・・」という風だという。声で唱えることも数字が日めくりでめくられることもなく、おはじきがその数だけ通り過ぎるようだ。思わず「どうして!!!???」と聞いたら、教科書にそういうのあったでしょって。たしかに、小学校一年生の算数の教科書の一番最初はそうなっている。でも、そんなのはほんの導入の授業でおしまいで、すぐに数字によって数を扱うように進んでいく(導入期だけでやめにするのは問題だと思っているが、その話はあとで)。身近にそんなやつがいるとは、思ってもいなかった。青天の霹靂。
あまりにも驚いたので、「その方式でいくつまで数えれるの?」って聞くのを忘れた。というのも、物がバラバラに置かれているものの数を「ひと目」で認識できる数はそれほど多くはないからね(この話は後ほど)。
こんど息子に忘れずに聞いておこう。

2019041024椿の葉の灰をとる

椿の産地では、ブロックで囲って椿の枝葉を入れ、バーナーで火をつけるとあった。しかし、試しにほんの十枚くらいの葉を灰にしようという我が家では、バーベキューセットで試みようとしたが、うまく行きそうにない。
押入れからいらない鍋を出してきて、それに葉を入れ、ガスにかけて鍋を熱したら葉から煙が出て、次第に黒くなり、さらに熱し続けたら黒いところが火になって(炭に火がついた感じになって)、ほぼ白くなった。
椿の葉にはアルミニウムが多く含まれているそうで、草木染の媒染に良いらしい。
ほんの十枚程度の葉から出てきた煙は、窓を開け、換気扇を全開で回したにもかかわらず、そして、換気扇はまわし続けてすでに12時間以上たっているのに、こもってしまって部屋中燻製だ。
外でガスの火が使えるように算段しなければならないか。しかし、煙が問題だと通報されてしまうか。微妙な情勢なり。

2019041127フェンダーミラーを見た

三十年以上前だったかと思う。フェンダーミラーだった車は結局「全部」ドアミラーになっていった。そして、現在、全部ドアミラーだ。
わたしが車を運転し始めた当初はフェンダーミラーだった。視線をちょいと向けるだけで左右の後方を確認できて良かった。しかし、今はどいつもこいつもドアミラーだ。ヨーロッパ車みたいでカッコいいってはやったのかなあ。フェンダーミラーって、ダサいのかあ。
トヨタはジャパンタクシーとかいうのを最近売り出した。乗り降りが楽そうでゆったり座れそうで荷物もたくさん積めそうで、ロンドンのタクシーを真似した感じの箱型だ(乗ったことがないので、見た目の印象です)。そいつのサイドミラーはフェンダーミラーだということに今日気が付いた。
運転のプロはフェンダーミラーを要請するってことか。
最近も、大きめのSUVで、ドアミラーなんだけど、助手席側の前輪あたりをカバーするためにフェンダーミラーが追加で付いているのがある。わたしは、結構ダサいやり方だと思っている。ドアミラーをやめるだけで解決じゃん。
まあ、教習所の先生は、ミラーで確認するだけでなく必ず直接視認することって言っていた。だから、フェンダーミラーで左右の後方を確認するだけじゃなく、右左もちゃんと直接目で見て確認しなくちゃならないんだけど、フェンダーミラーだと左右の視認をついついなおざりにしがちだ。その点、ドアミラーだと必ず右左に視線が行く。フェンダーミラーでの「楽」をあえてさせないためのドアミラーなのかもね。

2019041225札幌の地下鉄に網棚がない件

1972年の札幌オリンピックに合わせて開業した札幌の地下鉄南北線には当初から網棚がない。あとからできた東西線にも東豊線にもない。当時の交通局の説明として、乗車時間が比較的に短いので、網棚をやめたとあった(注1)。忘れ物防止でもある。高校生の時は開業から通学に使っていたので、そんなものかと思っていたが、全国的にも珍しいらしい。唯一との記述も見たが、ホントかどうかは知らない。

注1:今でも札幌市交通局は「他都市の地下鉄やJRとは異なり、各線とも都心部までの乗車時間が比較的短いこと及び荷物棚上の忘れ物を防止する目的から荷物棚を設置しておりません。」とサイトに掲示しているから、50年近く前の「網棚哲学」を堅持しているようだ。

https://www.city.sapporo.jp/st/faq/faq.html#sharyouekisetubia2

20190413欠

2019041424小学校三年生までしか学校行っていない

小学校三年生までしか学校に行っていなかった男性がテレビに出てた。「ぽつんと一軒家」を訪ねる番組だ。彼は貧しい家庭に生まれ、小学生の時から父を助け、畑をし、父と家を建てたと言っていた。そして、学校に行って勉強していないから字の書き方とか手紙の書き方とかを自ら練習したと言う。一日働いたあと、ランプの明かりのもと、頭が痛くなっても、眠たくなっても、練習したと言っていた。
その時に使った60年前?のノートを披露していた。すごく立派な字でつづられていた。ペンで書いたような筆跡であった。そして、ペン習字のお手本のように立派な字であった。楷書も行書もお手本であった。私の字と比べると、完全に月とスッポンである。「農家やっていても、手紙のやり取りくらいはちょっとあるので、練習した」と言っていた。
これほどの向学心がみんなにあれば、教室は爆発している。知識と知恵で爆発している。それが、たいていは上の空のお通夜なんだよなあ。

彼は、父と作った家の太い木の柱の根元がシロアリにやられて腐ったのを、柱の下を切り取って、型枠を作ってコンクリートを流し込みつなげて柱とした。ついでに、コンクリートの片側を化粧板で飾った。
私は具体的にどうやったか想像できない。なぜならば、太い柱はたぶん大黒柱で、一辺が33cmほどだ。その下部をすぱっと切り、その切り口にきっちりあうようにコンクリートの柱をあとからしつらえている。他の柱が家を支えていたとしても、すぱっと切ったらそれなりに柱は重みで下に来る。型枠を柱に合わせて作り、土台の処理をきちんとし、かつ、切った上の柱にきっちり合わせ、かつ、化粧板が入る余地を計算してコンクリートを整形するって、どうやったらできるのだろうか。柱が重みで垂れ下がらないようなつっかえをし、コンクリートの枠を作ったり流し込んだり固まるのを待ったりコンクリートの上面を切口に合わせて平らにしたり、そもそも、上にある柱が邪魔で作業できないでしょに。

魔法使ったとしか思えない。すごいじいさんだ。

2019041523郵便局の不在連絡票の連絡先が変更になった

我が家の管轄の郵便集配局は野幌郵便局だ。車だと10分圏内か。
で、簡易書留の配達時に不在だったから不在連絡票が入っていた。配達員は11時45分に不在連絡票を切っている。
で、郵便局方面に車で行ける状態にわたしがなったので、買い物がてらに郵便局に取りに行こうと思った。17時ころのことね。
以前は、不在連絡票に野幌郵便局の電話番号が書いてあったので、野幌郵便局に電話して「該当の郵便物は局にありますか?」と電話でたずね、あることを確認して出かけることができた。しかし、ちょっと前から(注1)集配局に直接電話させず、コールセンターに電話をかけるようになっている。今回は、午前中の配達時の不在だったのだから、配達員はたぶん局に手紙をすでに持ち帰っていると、状況的には推測できる。
不在連絡票の指示に従って、コールセンターに電話した。
再配達の電話かと言った。
いや、そういうのだったらめんどい電話じゃなく、自動的な何かでやるよ。野幌郵便局に手紙が戻っていることの確認をしたい旨を言った。
18時に手紙は局に戻るとコールセンターの彼女(名乗らなかったなあ)は言った。
いや、それって、オンラインでそちらに情報が行っていての発言かと問うた。
それには答えず、18時にはうんぬんを繰り返す。
わざわざ電話で人を呼び出しているのは、今、戻っているかどうかを確認するためだ。そちらにはあるかないかの情報はオンラインでわかるのかと問うた。
いや、ここは野幌とは離れていて云々とぬかす。
そちらのシステムがどういうのかは知らないが、18時にあるとかないとかではなく、現時点であるかないかは言えるのかと問うた。
なんだかんだあって、彼女は「今ありません」と断言した。
まあ、たしかに、配達員が局に帰ったらすぐに未配達の郵便物の追跡番号を電磁的にピピッと入力して、その情報がオンラインで相模かどっかにあるコールセンタの端末に表示できるシステムならば、彼女の言はその通りなんでしょうが、彼女の対応状況を鑑みると、たぶん、システムはそんなんじゃなく、18時には手紙は戻っていることになっていると言うマニュアルが存在するだけなんでしょね。マニュアルなら、今どうなっているか確定できないし、18時にどうなっているかも確定できない。マニュアルじゃなく、局にあるかないかの事実を知りたいのだが、それを答えられないならわからないと言えよ。嘘つき。コールセンタに電話するシステムじゃなかったちょっと前までは、野幌郵便局に直接電話すれば、追跡番号とか住所とか郵便物の種別とかを答えれば、郵便物を探してくれて、あるとかないとか言ってくれた。それがコールセンタではできないらしい。ついでに、そういう電話を野幌郵便にかけてから窓口に行ったら「事前のお電話ありがとうございます」とのお言葉ももらったものだ。だから、わざわざ電話している。そうじゃなかったら、電話せずに押し掛けている。
コールセンタの言い分が頭に来たので、すぐに野幌郵便局に車で行った。18時の15分前に窓口に着いた。不在連絡票を渡し、身分証明に車の運転免許証を見せ、住所が確認され、私は署名し、手紙を渡してもらった。あるじゃん。
再配達ではなく、郵便局に取りに行くってのは、こっちの都合で行けるので、時間をあけて待っている必要がない。たいてい、ほんのちょっとの不在時をめがけて再配達してくれる。配達員の彼の責任ではない。でも、ほんのちょっと、たとえば、駅まで娘を送るとか(往復に10分かからない)、そういうことをせず、何時間かの区分の時間をじっと家にいることを約束させるって、これ、かなり傲慢な設定ですよね。
そういうこともあって、行ける時にちょいと行っちゃうっていうのがお互い平和で良いと思うのだが、それに水を差すコールセンタシステムってこと。
ま、現場を知らない誰かが作るシステムって、こんなもん。そして、たぶん、この文を読んでも、現場を知らないシステムを作ったお方は、何を言われたのかもわからない。きっと、ないでしょうが、万が一「お客様のおっしゃることは、あれこれあれこれで、そのようにはできかねます云々」とマニュアル通りに電話で言ってきた時、こっちが少し切れ気味で(状況的に当然そうなるでしょう)、ちょっと強く言い返したりしたら、「モンスタークレーマー」とかのレッテルを私に貼るってことなんでしょうね。クワバラクワバラ。

「この電話は今後のサービス向上のために録音させていただいておりますことをあらかじめご承知おきください云々(テメーの脅迫は録音してるからな。ふざけた脅しをかましたら、告発するからそのつもりで)」

注1:前回の不在連絡票には今までのように野幌郵便局の電話番号が記載されていたが、そこのところに目くらましのスタンプが押してあった。そして、コールセンターに電話すれって書いてあった。しかし、スタンプの押し方が雑だったので、目くらましのスタンプだと認識できず、普通に野幌郵便局に電話してしまった。前回はそれで普通に用は足せた。(目くらましのスタンプだと気がついたのは、係の人に不在連絡票を渡すときに不在連絡票に目を落とした時だった)

2019041624牛乳の格

「格」と言っても、本質的なことは今回は取り上げない。なぜなら、「本質的」なことを取り上げるだけの何を持っていないから。経験が無いからね。
で、「格」として取り上げるのは、殺菌処理方法である。羅列するだけね。

温度範囲 温度維持時間 殺菌方法名
63-65℃ 30min 低温保持殺菌 LTLT
65-68℃ 30min 連続式低温殺菌 LTLT
75℃以上 15min以上 高温保持殺菌 HTLT
72℃以上 15sec以上 高温短時間殺菌 HTST
120-150℃ 1-3sec 超高温瞬間殺菌 UHT

LTLT=Low Temperature Long Time
HTLT=High Temperature Long Time
HTST=High Temperature Short Time
UHT=Ultra High Temperature

殺菌温度が高くなるほど「殺菌」ということに関しては良いのでしょうが、不味くなる。短時間ではあっても、高温にたんぱく質をさらすとたんぱく質の変性があり、不味くなる。クックドフレーバー(加熱臭)と言うらしい。牛乳本来の味が損なわれる。日本の牛乳のほとんどは「超高温瞬間殺菌」の範疇だ。まずい。

余市の仁木町は倉島牧場牛乳は80℃20分殺菌の牛乳を大麻に提供していてくれた。しかし、最近見かけない。ラルズの店員に聞いたところ、倉島乳業はこの手の殺菌方法の牛乳を廃止したそうだ。だから、入荷しないそうだ。
63-65℃30minの低温殺菌より高温だけど、一般的な超高温瞬間殺菌牛乳より圧倒的に美味しかったが、無くなっちゃった。ラルズには、低温殺菌牛乳が存在しなくなっちゃった。
残念。
たしかに、上記の表を眺めるに、低温殺菌牛乳の殺菌には手間ひまがかかり、かなりの経費が必要なことは想像できる。それゆえか、超高温殺菌牛乳より百円弱高値であった。超高温殺菌のが150円程度のものがあるな か で、倉島低温殺菌のは250円程度である。売れていなかったかと言うと、売り切れて買えないことも多かった。売れていた。入荷は少なかったようだが、売り切れていたはずだ。
経費は値付け以上にかかっていたのかなあ。とても、がっかりしている。
むかし、ガキだった時分、なんの処理もしていないしぼったばかりのほかほかの牛乳を一升瓶で買ってきて、沸かして、飲んでいた時期があった私は、ホモジナイズしていない高温殺菌でない牛乳を飲みたいものだと思っている。いま、NHK朝ドラの「なつぞら」を見て(注1)、ドラマ でのしぼりたての牛乳を見て、しぼりたての、超高温殺菌でない牛乳のふくよかな味わいを思い出して呻吟していると言うものです。
注1:最初の二週三週だが、乳牛の乳搾りシーンが頻出する。うまそう。

2019041724ノートルダムが焼けて一番驚いたこと

木でできていたってこと。

全部石で組まれているとばっかり思っていた。あの尖塔も何もかも。「ゴシック」っていう語感から勝手に想像していたのかな。あの尖ったギザギザは、石による表現だとばっかり思っていた。少なくとも、下の方の壁は石のようだしね。
オークの柱・骨組みが1300本あったらしい。「森」と言われてもいたらしい。1300本の木が柱とか骨組みで使われていたら、そりゃあ森でしょう。燃えるためにあったとしか思えない建物だったようだ。現代的な建築基準法的にはお話にならない建築だったらしい。
大規模な修繕作業中だったらしく、足場が大々的に設置されていたね。溶接の火花による失火が疑われているようだ。たばこの不始末だったら自殺もんだったかな。溶接の不手際は重いけど、倫理的にはたばこよりましかもしれない。
要職にある方々は「修復」すると言っているようだ。燃えてしまったものを修復するとするなら、材料は新品を用意するってことだよね。お金はすでにたくさん集まっているようだから、何とかなるようだが、形は元に戻っても、修復後は別のものになっているようなが気がする。フランス人はそうは思っていないのかな。
たとえば、法隆寺がノートルダムのように燃えて、修復するっていうことになったとしたら、私だったら「無理、違う」って思う。新品の材料での再建は、それはレプリカを作ったに過ぎないというような気がする。そして、たぶん、当時と同じ品質の材料は調達できないと思う。あれほどのヒノキは既に存在しないという話だからね。

2019041825「原発廃炉に特定技能外国人」の記事を見て

例によって、道新。夕刊だが一面トップだ。
福島第一原発の廃炉作業に特定技能外国人を導入するってさ。ま、これをやらせるための法律制定だったわけだが、首謀者は恥を知らない。いままでも、下請けの下請けの下請けの・・・、右も左もわからない生きるに必死の労働者に押し付けていたことを、そういう輩がなかなか数そろわないってことで、東南アジア辺りの貧しい若者を導入しようと言う法律だったわけで、法が施行される四月になって、まずは廃炉作業員だなこれが。

恥を知れ!

廃炉作業の現場仕事は、東電の社員がやるのが筋ってものでしょう。社長が率先して役員を引き連れて毎日毎日現場で瓦礫をかき分けるのが筋ってものでしょうに。オフィスで金勘定している暇は無いはず。それが責任をとるってことの基本動作だ。「人手不足」とかは理由ではない。そもそも、廃炉作業に従事する人は存在しないんだから。無理やりあらゆるからめ手(経済的な最弱者を騙す手口)を駆使して「導入」するしかない性質のものだからね。
東電の広報の話を引用する。
「特定技能の外国人の雇用は協力会社の判断であり、具体的に雇用規模などが決まっているわけではない。発注元としてしっかり管理したい」
どっかで聞いたような口ぶりだな。そうそう、安倍晋三が良く使う言い回しだ。自分は当事者ではないことを最初に提示して、その上で、「しっかり」対処するってね。当事者でないのに何を「しっかり」するんかってもんだね。当事者でないからしっかりする必然はどこにもないのにね。
というわけで、東電は廃炉作業を完全に「ひとごと」であると宣言しています。
また、東電広報の発言かと文脈から思うのだが、「特定技能外国人の活用が可能なことは法務省に確認済みだという。」という記述がある。またしてひとごとだ。外国人が入ってくることに対しての直接的な責任はないが、法務省もそれはそれでよろしいといっていると、国の機関がOK出してるぜってね。
さて、東電の最低な態度を確認したところで、法務省の態度を見てみよう。
「特定技能外国人の活用が可能なことは法務省に確認済みだという。」って文言を新聞社が書くことを許容しているのが法務省だ。許容っていうより、推進しているのかな。安倍政治の根幹のひとつだから、メディアに対してはこういうふうにどんどん出していけっていう立場なのかな。
法務省は特定技能外国人は廃炉作業に従事することを認可するのは何を根拠にしているのかあ! 法律に「廃炉作業を含む」って書いてあんのか? 法務省が「勝手に」そういう風な区分にしただけじゃないのかあ!
法律に書いていない詳細は追って沙汰するって話だったが、その具体的なひとつがこれってわけね。国民が信託した国会議員による国会での審議とは無関係なところでちょこちょこって決めた「具体的」なことのひとつが、これ。
(あとできっちり書くつもりでいることのひとつだが)「そのようになっています」って言うのはひどい言い草だということ。責任の所在を自然現象にすり替えている。自分が責任の所在であるにもかかわらず、あたかもそうではないような口ぶりだということ。
つまり、「特定技能外国人は廃炉作業に従事すること」を認可した主体は、法務省。法務省は法律の具体的なあれこれを決める権限を持っているのか。たぶん、何でもかんでも持っているわけではないはずだが、野党の議員があれこれ言っても、「あとで整備するから」とか言って、具体的なことは何も法律に盛り込まないで、フリーハンドを行政府(の長の総理大臣)に与えるように法律を制定したわけだ。
一連のこういうふざけたことをする大人たちに本気で腹を立てた若者は、一般的に、現制度の手続きの中で意思を表明することを放棄する。そして、多くは黙る。もしかすると、一部が革命を起こす。つまり、既存の組織を全部ぶっ壊しにかかる。
まずは、既存の制度、つまり、国政選挙などで意思を表明するのが現実的かと私は思うが、見えないところでさらっとさりげなく不正が行われているかもしれず、一気にぶっ壊した方が実際的かもしれん。軍隊の火気をかいくぐって何とかする戦略を持ってしないと犬死にだけどね。
ホントのところをあんまし意識的にわかっていないようなAだが、Aでない実質首謀者の誰かが企画立案した今の状況だから、若者は本気を出しても死ぬしかないかもしれない。何とか支援したいが、知恵が沸かないのがもどかしい。

2019041924昔書いた全国学力テストに対するチラシ

今年も相変わらず小6と中3全員に学力テストをやらせているようだ。以前は、少し抵抗した自治体もあったようだが、最近はどうなのだろうか。

いつもながら問題となるのは「我が県(都道府県)は全体の何番目だ!」ってこと。学力テストそのものに対する考えは、誰も表明しないのか? 今日の新聞では見当たらなかったな。実施された問題文と回答が何面にもわたって出ていたが、あいかわらず、些末なことをほじくりかえす問題だ。小さい字なので、ちょこっと見ただけだけど、あれを一日やらされると考えると、地獄だね。いじめ以外の何物でもない。出来ない奴にとってだけでなく、ほぼ満点取れるような奴にとってもね。

じつは、一番言いたいのは「問題自体のふざけたあり方」なんだけど、それ以前に、学力テストがどのように実施されているのか、どういう性質のものなのかを確認することは重要だ。

「チラシ」として私の周りの人に少し配ったが、ほぼ無反応だった。まあ、立場上反応できない先生方にも配ったからね。教育関係のメーリングリストに、書いた何年か後に上げたこともあったが、ほぼ反応はなかった。みんな、テストが好きだね。そして、結果に全幅の信頼を寄せている。学力テストの権威を疑ったことがないんだね。ほぼカルトの信者の態度だ。


【昔配ったチラシ】

小学校5年生対象の江別市の学力テストと
小学校6年生と中学校3年生対象の全国学力テスト

受験した児童生徒は単なる実験動物だったのか

江別市教育委員会に行ってきました
2008.9.25
佐藤聡智(さとうあきとも)

応対してくれた方々
江別市教育委員会学校教育課
 出頭課長さん
 堺さん
 伊藤さん

[学力テスト(直接の対象)]
2007年度の江別市独自の学力テスト(小5対象)
江別市で行われた2007年度・2008年度の全国学力テスト(小6・中3対象)

[学力テストの実施主体]
江別市教育委員会


わたしの立場
 わたしは、2008年度において、高1・中3・小6の子供達の親です。子供達は、上記の学力テストをそれぞれの対象学年で受験いたしました。学力テストはほとんど一日の時間をかけて各年の四月に実施されたようです。
 今回取り上げた学力テストを除く学校で行われるあらゆるテスト(小テストから定期テスト、普通の学力テストなどすべて)は、担任や担当の先生が実施主体として学校教育の一環として行います。たとえ市販のテスト問題を使用したとしても、実施主体の先生がその出題に責任を持ち、採点し、すみやかに返却して解答に関して指導をします。しかし、今回取り上げた江別市の学力テストと全国学力テストの実施主体は学校の先生ではありません。全国学力テストを含めて実施主体は江別市教育委員会です。
 自分の子の解答用紙を返して欲しいこと、時間をかけてやったテストに関していつものように子供達に指導をして欲しいことを学校の先生に申し出たところ、個人の成績表や評価以外の、子供が直接書いた解答用紙の返却はできないこと。採点するのは自分でないし、採点結果が出るのは何ヶ月も先であるとの返答でした。そこで、実施主体である江別市教育委員会に出向いたところ、学校教育課の三名の方々が応対してくれました。

学力テストの実施主体
全国学力テストを含めて、江別市の教育委員会が実施主体です。

(全国学力テストは「国が行っている」。しかし、江別市教育委員会は、実施の拒否権があり、子供達に直接実施している主体ではないかとの問いに、その通りであるとのことでした。)

学力テストの目的
「児童生徒の学力や学習状況を把握し、結果を学力の向上及び学習環境の改善に役立てること、ひいては今後の学校教育活動に生かすことを主たる「ねらい」とする」(2007年第4回定例市議会 代表質問第1番の高橋教育長の答弁から引用)
とのことです。この答弁は、全国学力テストに関するものですが、江別市独自の学力テストに関しても同様です。
(全国学力テストの国としての同様の見解が文部科学省のウェブサイトに示されています。下記の「参照A」を参照して下さい。)

学校の諸先生に学力の現状を聞いたのか?
 子供達に最も近いところで学力や学習状況を把握しているのは担当の先生なので、諸先生に学力や学習状況を聞きましたかと問うたところ、特にそのようなことはしていないそうです。江別市独自の学力テストに関してのヒヤリングを年一度、担当の先生を呼んで行っているとのことでしたが、それは、前年度の市の学力テストの分析の結果が各学校でどのような成果となったかの聴取に留まるようです。

学力テストの出題の意図に関して
 出題はどのような意図のもとに選ばれたのかと聞いたところ、問題作成や選定は、全国のものは国が行い、市のものはベネッセが行ったもので、江別市教育委員会はまったく関与していないそうです。全国の試験問題は試験の実施時に始めて見たし、市の試験問題は試験実施数日前にちらりと見ただけだそうです(出頭さん談)。子供達の現状をそれなりに把握し、彼らに与えるのが適当である問題を選定しなければ学力や学習状況を把握することができないではないかと問うたところ、学習指導要領に準拠している試験問題だから適切であると出頭さんに言われた。
 学習指導要領を逸脱した授業なり試験なりをやっている先生をわたしは見たことがない。学習指導要領の到達目標からほど遠い我が子達の諸先生は、智慧を絞って学力の底上げをしようと指導してくれている。子供達に適した課題を与えようと努力している。しかして、学力テストでは学習指導要領に準拠しているだけの出題ではない、子供達の現状把握に適した出題をするための事前の調査は行ったか? また、もっとも現状を把握していて、子供達の学力向上に努力している先生方に事前に聞いたか? と重ねて問うたところ、まったく行っていないとのことです。

試験結果の使用法
 試験の結果をどのように評価し、どのように使用しているのかと問うたところ、江別市独自の学力テストに関しては江別市の教育研究所で分析し、各学校に伝えている。全国学力テストも、その結果と分析は各学校に伝えているとのことです。そして、その結果を踏まえて各学校で子供達の学力が向上するように対策を立てる手順になっているとのことです。

[私から]
 子供達の先生は、自分が実施したテストについては実施主体として責任を持ち、問題の意図を聞けば答えてくれるし、子供達の解答の不備を説明してくれるし、今後の課題も示してくれる。出題や解答例に間違いがあれば謝罪して訂正するし、たいていは一週間以内に(普通は二、三日中に)解答用紙は採点して返してくれる。テストの実施主体の、子供達に対しての責任の取り方は一般的にこのようなものです。江別市教育委員会が実施主体で行った学力テストに関して、子供達に対しては先生方が負っている責任と同じ責任を負っています。子供達に対してそのように責任をとって下さい。学力テストの結果の提示は数ヶ月後であり、解答用紙は返却せず、子供達の解答に対する指導・教育をしないと言うのはまったく責任を果たしていない。それができないなら、すでに実施した学力テストに関しては子供達に謝罪して下さい。今後学力テストを継続すると言うなら、上記の責任を負った上で実施して下さい。

[出頭課長から]
 児童生徒の学力や学習状況を把握し、結果を学力の向上及び学習環境の改善に役立てること、ひいては今後の学校教育活動に生かすことを主たる「ねらい」とする」ということで実施主体としての責任を果たしている。
 佐藤さんの貴重なご意見は今後にいかしてゆく。

[私から]
 学力テストを実施された私の子供達は、四月のある一日に学力テストを課せられ、それを拒否することもあたわず、学力テストをそれなりにまじめにやったけど、学力テストに関してはやられっぱなしで、何のフォローもない。出来た出来なかったは置いておいて、そういう処遇には非常に憤っている。
 子供達や、学校の先生方や、知人・友人に江別市教育委員会の公式見解として出頭さんの言ったことを伝えますが、それでよろしいでしょうか?

[出頭課長から]
 それで良い。

[わたしのこと]
 上記の経緯から、この文章が存在します。
 学校や先生方には学力テストの実施などに関しての意見を表明する場はない。実施された子供達にも拒否権はない。ならば、実施された子供達の親権者であり、江別市民であり、日本国民である私のような立場の人だけが異議を申し立て得ると言うことなのでしょう。よって、ここに、そのようにいたします。

【その他】( ()内はわたしの考え・発言)

  • [教育委員会談]実施するか否かを含めた学力テストに関しての意見を諸先生や学校は言えない。拒否権はない。(学力テストに関しての問題点の指摘は学校や先生からは出ていないとのことです。もしも何らかのことがあれば、即実施と言うことではなく、出頭さんによれば、何らかの検討が行われたはずだとのことでした。ならば、学校や先生に対して、学力テストの実施の有無を含めて、意見を出すことが可能であるとの話をしましたかとの問いに、そのようなことはしていないとのことでした。実施についてのお知らせをしただけだそうです。重ねて、学校や先生に学力テストの拒否権があるかないかを問うたところ、上記の返答でした。)
  • [教育委員会談]学力テストの試験問題自体の解説は学校の先生がする。そのように江別市教育委員会は指導した。(試験問題自体はそれを見ればわかる。なぜその問題を選んだのか、その問題の子供の解答のありようはどのような意味を持っているのか、こどもがその問題がわかるようになるためには具体的にどのような指導が良いのか、それは、今までにしていた他の指導をやめてまでするべきことなのか、などに関して聞いているのに答えて下さい。・・・出頭さんの発言は「ねらい」にもどる。)
  • 堺さん・伊藤さんのみのとき。(江別市の教育委員会は五人の教育委員で構成されています。教育長は教育委員でもありますが、事務方の長と言う役目です。さて、お二人は、教育委員会の学校教育課の職員です。教育委員会の方針を決めたり、大きな事項を、たとえば、学力テストを実施するなどのことを提議したり決定したりする係ではありません。教育委員長が代表する五人の教育委員がそれに責任を持って決定する係でしょう。)
  • 注:当時の法令での地方教育委員会の構成です。現在は、本質的な変更がされています。
  • [教育委員会談]学力テストの結果は誰のためにあるのかと聞いたら、それは学力テストを受けた人たちのためであると言った。次の世代の人たちのためではないと言った。(結果が出るまで数ヶ月を要して、かつ、小6・中3では卒業を間近にして、その結果を彼らに何らかの形で還元することができるとは思えない。もしも、何らかの還元が出来るならそのあり方を教えて欲しいね。)
  • [子供直筆の解答用紙を返して欲しいわけ]
  • (一週間以内くらいまでに返却して欲しいのは、実施日からそれ以上時間が経過したら、子供達は自分のやった試験のことを忘れてしまい、指導する意味を失うからです。
 教育委員会は、学力テストを実施主体として実施するに当たって、子供達への責任を実施主体として負っていることの認識・学力テストの「ねらい」が実効を持つための出題の吟味・事前のサンプル調査・先生方からの聞き取り(学校や先生に報告書を提出させるなんて言うような、負担の増加は間違ってもやめて欲しい。教育委員会が自ら出向いて観察・調査すべきことでしょう)・(「ねらい」を実効あるものとするならば)結果を踏まえた具体的な指導のあり方の提示(私が思うに、それは学校・先生の役割であって、教育委員会がでしゃばる問題ではない。出頭さんもそれは教育委員会がすることではないとおっしゃった。しかし、その提示なしで学力テストの「ねらい」は達せられないはず)などを考え、そのように実施する係だと思います。しかし、まったく仕事をしていないですね。それらのことに関してちょっとでも考えた形跡すらない。)((誰かが何かの基準で採点しての)各問のデータとしての結果を開示することは可能だと言われましたが(つまり、解答欄それぞれの正誤の結果を示すことが出来ると言われましたが)、解答用紙を生で見ないと、子供達が何を考え何をやったかが具体的にまったくわからない。他の文字と区別のできない文字を書いたせいでのバツなのか(「シ」と「ツ」の書き分けがきちんとできていないなど)、ほとんどわかっていたが詰めが甘かったのか、根本的にまったくわかっていなかったのかと言うようなところは生の解答用紙をじっくり見ないと取っ掛かりがない。それがわからないと、子供達への指導のしようがない。だから、解答用紙は返して欲しい。) 数ヶ月かかるのは採点・集計の量が多いので時間がかかるせいだとのことです。しかし、そのようになることは実施前から充分に把握していたはずです。実施日から結果を出すのに数ヶ月要することを責任を持って選んだのは実施主体たる江別市教育委員会です。全国学力テストに関しても、結果を得るまでに数ヶ月を要することを了承して実施することを決定したのは江別市教育委員会です。よって、数ヶ月の時間がかかることに責任を持つのは実施主体である江別市教育委員会です。)このことは出頭課長さんは否定しなかった。

2008.5.16に、教育委員会庁舎を始めて訪問する。5月22日・6月4日・6月25日に教育委員会庁舎で会う。

参照A(https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/zenkoku/07032809.htm)

<調査の目的>

○ 国が全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から各地域における児童生徒の学力・学習状況をきめ細かく把握・分析することにより、教育及び教育施策の成果と課題を検証し、その改善を図る。

○ 各教育委員会、学校等が全国的な状況との関係において自らの教育及び教育施策の成果と課題を把握し、その改善を図るとともに、そのような取組を通じて、教育に関する継続的な検証改善サイクルを確立する。

○ 各学校が各児童生徒の学力や学習状況を把握し、児童生徒への教育指導や学習状況の改善等に役立てる。


[あとがき]

 児童生徒の学力・学習状況を良く知っているのは担任の先生であったり担当の先生です。それは、学力テストとは無関係に、普段の授業などで把握している。児童生徒の学力・学習状況を知らないのは江別市教育委員会とか日本国の文部科学省の方々だけでしょう。諸先生は児童生徒の学力・学習状況を充分に把握した上で普段の授業や授業以外の指導を工夫している。現状の児童生徒に最適と思う指導をしている。学力テストの分析を示されても、現在の指導を変える理由にはならない。なぜならば、最善と信じる指導をすでにしているからだ。学力テストの分析結果を踏まえて、かつ、諸先生の指導の至らないところを指摘するなら、新たな指導のあり方を示さねばならない。しかし、教育委員会はそれはしないと言う。わたしは、それは無責任だと思う。 また、学校やクラス、およびそれぞれの児童生徒が全体の中でどのような学力・学習状況の有り様なのかを知ったところで、その子達に最適と思える指導をしている現状を変える理由にはならない。 学力が全国平均より上位の場合。現在の指導方法は良いと言うことでしょう。(学力テストの問題の選定が適切だったならばという前提条件はつきますが) 学力が全国平均並、および、平均以下の場合。指導要領の想定する到達度に達していないことは充分に把握していて、少しでも理想的な到達度に達するように指導を工夫しているところに、全国平均並かそれ以下であると指摘されても、それは良くわかっているからそれを改善するための指導をしているところに、指導のあり方の変更を自らすることはありえないだろう。だって、最善の指導をしていると考えているのだから。 よって、「学力テスト」を実施する意味は、児童生徒にはまったくない。ただ、教育委員会や国(文部科学省)が、知らなかった児童生徒の実態を知りたいだけだ。そして、教員の技量を児童生徒の学力で評価しようと言うのでしょう。児童生徒の学力は、指導する教員の技量にも依存するでしょうが、児童生徒自身の能力の方により強く依存するでしょう。 改善策を具体的に明示できないものが教育の現場に高圧的に指導をするのは権力の乱用だ。自らの無知を認識すべきだ。そして、知っているもの(諸先生)から教えを請うべきだ。何らかの「ねらい」を持つならば、直接児童生徒と対している現場の諸先生と意見交換をすべきだ。意見交換を何もしないで、自ら実施する学力テストの問題策定に関してまったく関与しないで、子供達に対して、いったい何が出来るのか。出来ることはない。 市の教育委員会と言うものの行政的な、社会的な位置は、教育に対して非常に大きな存在です。法的にも実質的にも。大きな権限を学校や諸先生に対して持っています。ということは、教育の対象である児童生徒に対しては、大きな責任を負っているはずです。そうであるならば、自らは知らない事項に関して児童生徒に対して直接の何らかの行為(学力テストを実施するとか)をしないで欲しい。だって、ちゃんと児童生徒に対して責任を取れないでしょ。諸先生方に申し開きが出来ないでしょ。なぜならば、子供達の学力に関しては、何の知識も持たず、何とかする能力も持っていないんだから。

20190420欠

2019042124うちの猫たちは、ちっちゃいムカデに反応した

絨毯の下に逃れたムカデが出てくるのを待っていたから、絨毯をめくってやったらムカデが走った。二匹は逃げて遠巻きにした。長さが1cm位のムカデ野郎だぜ! 野性味なさすぎの猫たち。

20190422アーレンのオルガンはスピーカが二つでもステレオでない

じゃあ、モノラルかと言えば、そうでもない。

本物のパイプオルガンはパイプがたくさん並んでいる。そして、一本のパイプからは一つの音しか出ない。ここで言う「一つの音」とは二つのことで一つだ。
ひとつは音の高低が一つだ。もうひとつは、音質が一つだ。
といことは、ある音質のパイプは高音から低音までひとセットあるということ。
音質の数だけそのセットがあるということ。
たぶん、ひとつの音質のセットは鍵盤すべての音程に対応するだけのパイプを有しているわけではないと思う。そうであるとは言え、何種類もの音質のパイプを持っているのがパイプオルガンだし、ひとつの音質に何十本ものパイプは必要だろうしで、相当数のパイプの数となるわけだ。とうぜん、オルガンの規模によってパイプの数は変わるので、「相当数」の数はオルガンによって大きく異なる。
どんな種類のオルガンがあって、どれくらいの数のパイプがあるのかは、知りたかった調べてちょうだい。
それで、アーレンの電気のオルガンだ。小さいシステムでも二本のスピーカ。規模が大きなシステムになると、何本ものスピーカが並ぶそうだ。そして、それらのスピーカはステレオ音を出すためのものではない。
本物のパイプオルガンの場合、パイプは左右に並んでいる。スピーカはそれをなぞっているということだ。二つのスピーカの場合だと、右側のパイプを担当する右スピーカ。左側のパイプを担当する左スピーカ。ということは、右と左のスピーカからは別々のパイプの音が出ているってこと。
二つより多いスピーカシステムの場合は必ずしも完全に担当を分けているわけでもないらしいですけど、スピーカはそれぞれの位置にあるはずのパイプを担当しているってことではそうらしい。そういうわけで、いわゆるステレオではない。モノラルっていう風にも言い難い。なかなか手の込んだオルガンってことらしいです。
アーレンの日本の代理店の方のお話でした。運送業者との連絡に間違いがあったらしく、運送業者が三時間遅れで来たことで、なかなか深いお話を聞くことができました。

20190423欠

2019042424プレイボーイのうさぎマーク

女子高生の紺の靴下やリュックに、例の蝶ネクタイのバニーちゃんがいる。その女子高生の顔をしげしげ見ちゃうのだが、何のてらいもなく、普通にぶうたれている。バニーちゃんをさりげなくチラ見せしているって、結構きつい洒落がきいているのかとおじさんとしては思うわけだが、そういうわけではないようだ。

スケベおやじ:「ねえちゃんは放課後にキャバレーでバイトかい」
女子高生:「網タイツでお尻にふかふかのしっぽつけて、頭にはうさぎの耳があるの。黒い蝶ネクタイでばっちりよ。たくさんサービスしてあげるから、チップはずんでね」くらいのあしらいができる女子高生かと思えば、うさぎのマークがちょっと可愛いくらいの認識なのか。

グラビアのヌード写真は、今は昔。

2019042525スズメバチを蜜で集める

スズメバチは熟れた果物のにおいなどに集まってくる。指南書には酒、酢、味醂などで作るってさ。酒が特にもったいないなあ。
あとは、2Lのポリエチレンテレフタレートの瓶を調達せねばね。

20190426欠

2019042726Eテレはかなりシュール

ブラタモリの林田理沙アナウンサーが「植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之」で山田さんとシュールなやり取りをする。落ちがあるのかないのか。たぶん、無い。しかし、ツユクサ、セイヨウタンポポ、ヘクソなんたら(強烈な「屁糞」の名前の記憶しか残ってない。ツル性で、つぼ状の赤い花には毛があって、力の弱い目の蟻は入れないけど、花粉を遠くまで運んでくれる力の強い目の蜂は入れるってのをやっていた)などの植物を取り上げ、白板に用意したパネルを貼っていくだけの、会話。内容は、たぶん、ほとんどが真実。だが、山田さん独自の見解も紛れる。それも、短い番組を、見始めてから三つ連続。一つ一つは独立している。
やっぱ、シュール。

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